テツガクだぜ

自己肯定感ってナンですか?

僕は昭和生まれのおっさんです。今54歳なので、今年55歳になります・・・。

おっさん、と書いておりますが個人的にはもうジジイな年齢だと自覚しています。

こんな年齢なので、落ち着いて見えるのか、ワカモノからたまに相談を受けたり、アドバイスを求められたりします。まず書いておきたいのですが、おっさんが落ち着いて見えるのは経験とか人生経験が豊かだから、ではなく単純に疲れていてワカモノほど覇気が無いからです。

話逸れますが、インドに行った友人が「街中にいる人が皆んな哲学的な人に見えるの!」と感激しておりました。その写真を見せてもらいましたが、道ゆく人は眼光鋭く、確かにそんな風に見えなくも無いです。恐らくガンジーのイメージがあるのでしょう。でも冷静に考えると、その人達は真昼間に街中をフラつけるご身分、なので恐らく無職なんでしょうし、粗末な服装は質素を是とする、というよりもただビンボーなだけ、が正解に思えます。眼光が鋭いのは、外国人が観光でこんなところに来やがって、という妬みか警戒心から来るものでしょう。実際のところは分かりませんが、僕にはそこらへんのおっさんにしか見えませんでした(もちろん、口には出せませんでした)。

まぁそんなじゃない、ちゃんと落ち着いたおじさん、おばさんもいるでしょうけど、少なくとも僕は上記のインド人みたいなもんだと思います。実際、無職ですし(インド人、すみません)。

ともかく今回は同級生の友達から、「こういう子がいるんだけど相談に乗ってあげてくれない?」と懇願されラインを教えることになりました。

最初は体型維持と日々のトレーニングについての相談だったのですが、心を許されたのか次第に「自己肯定感が低い、どうすれば良いのか?」というものに変化して来ました。

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自己肯定感、自己肯定・・・僕はこの類の言葉が本当に苦手です。

今回だけでなく、以前にもこんな質問というか相談を若い子から受けたことがありました。

その時にも、なんだかとても困ってしまった記憶があります。そしてこの話は、一言でこうだから、ではなく話があれやこれやと脱線しがちなテーマです。それは単純に僕が頭が悪いからなのもありますが、自己肯定感をあげるにはどうすれば良いのかという質問に「こうすりゃいいです!」ってビシッと一言で返している人を見たことがありません・・・。

だから今回、この問題をキッチリ、自己消化すべくテーマとして選んだ次第です。

例のごとく、何を書くか事前に全く考えず、考えついたままを書き、校正していくのでまとまりのない文章になるのは必至となりそうですが、まぁ進めていきましょう。

それと以下は、あくまでも個人的に思うことであって、これを読んだ方が同意するとは思っておりません。僕にとっては、正解でもあなたにとってはそうではないことが有り得るはずです。だからコイツ何言ってんだ、と思われるかも知れません。それでいいと思います。皆さんも皆さんなりの「自己肯定感」について考えてもらえば幸いです。

まず昭和生まれの人間は総じて、自己肯定という言葉をあまり理解していないと思います。

理由として、そんな言葉は僕らが生きてきた時代、存在しなかったからです。

だからもし自己肯定感が低く、それに悩んでいる人がいるのなら、もっと世代が近い、せいぜい初期の平成生まれに相談することをオススメします。

と書いたら話は先に進まないので、もう少し掘り下げてみます。

そもそも「自己肯定感」などという言葉は、いつから世に出始めたものなのでしょうか?

個人的には初めてその言葉を耳にしたのは、4−5年前からなのですが、僕は世間とズレている気がするので、もしかしたら平成終盤には存在していた言葉かもしれません。

自己肯定の反対語である「自己否定」という言葉は、昭和にも存在していたと思います。

ここに自己肯定感、自己肯定という言葉を読み解くヒントがありそうです。

先述した自己肯定感が低い、と相談してきた人に自己肯定感が高い人ってどんな人なの?出来れば一言で言い表してみて?と逆質問したことがあります。その人は女性だったのですが、彼女の答えは「キラキラしている人」でした。

具体的にこうこうな人、と彼女が答えられなかったこと、ここにもヒントがありそうです。

その時、僕がふと思ったのは、これにはSNS社会が強く関係しているのではないか?というものでした。

僕らの時代は mixiというものがありました。それがFacebookに変わり、その後Instagram、Twitter(現X)、TikTokへと変遷していきました。Threadsなんてのも最近はありますよね。

mixiをSNS黎明期だとすると、その当時と今に至るまで、投稿に少しずつ変化があったのを覚えています。

最初は、皆何を投稿して良いか分かっておらず、自分の身の回りのたわいのないものが多かったという記憶があります。その後、こんな場所に行った、こんなものを食べた、こんな人に会った・・・などの写真やコメントが少しずつ増えていきました。

今でも覚えていますが、そういう人が羨むような写真をアップした人がよく書いていた言葉に「充実」というものがありました。「とても充実した1日だった」「今後もこんな充実した日々を送りたい」などの言葉です。

これはバエる、自己肯定感などが世に出る前によく目にした言葉です。当時は、インフルエンサーという言葉も存在していなかったと思います。

先述の「キラキラしている人」に戻りますが、彼女がいう自己肯定感が高い人とは、インフルエンサー的な生活環境にある存在に近いのではないか、という推測に至りました。

多くの人から「いいね」やグッドボタンを押してもらえるような状態こそ、自己肯定感が高くいられるように思えたのです。

でも長く生きていると、どんなに幸せに見える人であってもその背後には人には言えない悩みや困っていることの一つや二つを抱えていることをおっさんは知っています。

キラキラに見えるインフルエンサーだって、もしかしたら地獄の苦しみを抱えているのかもしれません。それを紛らわす為に、一生懸命美しいものに囲まれた演出をしているのかもしれないのです。もしかしたらちっともキラキラしていないんじゃないか、自分の方がマシではないか、と思える存在かもしれないのです。まぁほとんどが本当にキラキラしているんだと思いますが、その人のことは他人には理解できないの意味で、です。

と書いてみて気づきますが、自己肯定感が低いと悩んでる方は、もしかしたら他人と自分をつい比較してしまいがちなところがあるのかもしれません。

「自己否定感が強い」、ではなく「自己肯定感が低い」という言葉を選んでしまうのも僕がそう思ってしまった理由です。本来それらはザックリ言って同じ意味なはずです。

でも今の子達が選ぶのは、後者です。

自己否定感が強い人はどうすれば良いのでしょうか?

個人的に思うのは、自己否定感を無くすことがベストだと思います。

自己否定して「オレはダメだ、無能だ」と自分を傷つけて反省しても1ミリも前には進めないし、問題は何も解決出来ないからです。

それなら、自己否定に時間を費やすよりも自分に何が出来るのか、今出来る最善は何なのか、ゴールに近づくには何をすべきなのか、などなど考えた方が建設的です。

物事を前向きに考える~ポジティヴシンキングとか、自分を鼓舞する必要もなく、淡々とそれを実施すれば良い、という考えになります。

苦しくてそんなことすら考えられない、という人もいると思います。そんな時の解決法は、それなら考えなければいい、というものです。人の気持ちに寄り添わない、暴論のようですが、個人的にはそれが正解です(異論は認めます。ぜひ酒の席ででもそんな話をしてみてください)。

自分が好きなことや、楽しいと思えること、幸せだと思えることに没頭すれば少なくとも、考えたくないことは考えなくて済みます。

それを自己逃避だという人もいますが、自己逃避の何が悪くて間違っているのでしょうか・・・。

楽しい時間を過ごすこと、小さな幸せを感じること以上に大切なこと、人生で存在するのでしょうか・・・。以前にもあったのですが、こういう話題になると、じゃあ例えば30過ぎてニートだったり、働きもせずにゲームしかやっていない人をどうするのか?自己逃避じゃないのか、そういう人を肯定するのか?という人がいます。

僕の結論は「そんなの知らねぇよ」です。人それぞれ状況は違うし、そもそも他人が他人をどうこう言えないと思います。そんな責任は負えないし、負う必要もないのです。

それにもし大金持ちで一生お金に困らないニートが一日中、ゲームをして働かなくてもそこまで非難する気にはなれないでしょう。同じ30過ぎのニートでもお金持ちとスネカジリでは状況は違うからです。この「自己肯定感」というテーマだって、僕の人生には本来全く関係ないものでした。巻き込まれたようなものですが自分なりに考えてみているだけなのです。だからどういう結論になろうとも、責任を僕は負えないし負うつもりもないのです。

あ、話は逸れました。ちょい前に実際に起きたことを思い出し、若干逆ギレ気味になってしまいました、スミマセン。

と、ここまで書いてきて僕の結論は、自己肯定感を上げたいのなら「自己肯定感」というものを捨てたらいい、考えないようにする、がベストアンサーになるかと思います。

自己肯定感よりも強いもの、それは「自己幸福感」ではないでしょうか?

大きな幸せを得るためには、結構な努力みたいなものを続けないといけませんし、犠牲にしなくてはいけないものも発生すると思います。

でも小さな幸せを得るのは、とても簡単です。

お菓子が好きな人は、大好きなスイーツを食べればシアーセ!と感じるでしょうし、個人的には今の季節、桜のつぼみを見るだけでちょっとシアーセを感じてしまいます。

充実感をちょっとでも感じたければいつもより一駅手前で降り、歩いてみたらいかがでしょう?ほんの小さなものかもしれませんが、充実感は得られるのではないでしょうか?

自己肯定感が低い人は、ある意味シアーセセンサーみたいなものがぶっ壊れてる気がします。世の中にはたくさんの人がいて、仕事ができる人・できない人、美しい人・ブサイクな人、面白い人・つまんない人、いっぱいいます。

美しい人しか世の中にいなかったら、もしかしたらブサイクはとてもモテるかも知れません。それはそれで強烈な個性になるからです。まぁ現実的に考えるとそんな世の中ではもちろんありませんが、ただ自分という人間は他人にはなり得ないので、結局のところ、その覚悟を決めて自分という人間を全うしよう、と決意を固めちゃえばいいんだと思います。

それなら自己否定に苛まされるよりも、自分を応援したほうがいいし、自分を嫌いになるよりかは、自分を好きでいる方が得策だという至極当たり前の結論になります。

ここまで書いても自分を好きになれない、という人がいると思います。実際、僕は誰かにそう言われたことがあります。ただそう言われても、それはオレの責任じゃないとその時思いましたし、実際にはそうです(ただ口には出しませんでしたが)。

個人的には、そんな人がいても僕は責任を負いませんが、ほんの少しだけ手助けすることがそ出来ます。

それは、その人の話をただ聞くことと一緒に海に行ったことでした。SUPをして海を見て、美味しい魚をたくさん食べました。クッソくだらない話をして、一緒に笑いました。

結局、そんなことだけで、人はシアーセを感じ取れるのです。

肯定感よりも幸福感は強いものですし、それが例えわずかな時間であったとしても、シアーセな時間を過ごした記憶はその人の中に残ります。

日々それを感じられるように求めて実践できてる人は、それこそどんなインフルエンサーよりも「キラキラしている」ように僕は思えます。きっと話していても楽しいのは、自己幸福感を常に感じている人ではないでしょうか?

というわけで僕の結論は、自己肯定感を高めたかったらそれを捨てる、そして自己肯定感よりも自己幸福感だ、という結論になりました。

結局、ちょっと悲惨な状況にあっても問題解決の糸口みたいなものは必ず周りには存在していますし、存在しているということはそれをすでに持っている、に等しいのだと思います。

すでに全てを持っているのだから、まぁあんまり不安感を自分で煽らなくても良いのでしょう。

まぁなんか思うところがある人に僕が言えることは、海に行きましょう!です。お酒が好きな人はぜひコンビニでビールでも買って浜で飲んでみてください。コーヒーが好きな人はコーヒーを。

そうそう、逗子海岸にはコンビニがありますので、空腹な人はカップ麺とか菓子パンを買うのも良いでしょう。自宅で食べるより、どんなに高級なレストランで味わうよりも確実に「美味しい!」「ウマッ!」と感じられるはずです。大体海で飲み食いするとどんなものでも美味いのです。

いや、オレ一人だから・・・と思った人、バカヤロー!!!

それを言ったら、僕なんてずーっと一人ですよ!一人でもいいじゃないか!一人寂しい自分をゾンブンに味わってみるのもそれはそれでなかなかオツなものであると書いておきます。周りがカップルだらけだったりすると、ちょっと笑えてきて自分のマヌケ具合が可愛く思えてきたりします。それは悪い感覚ではありません。

以前にも少何度か触れましたが、ブログを始める時、「ブログは誰かの役に立つ情報を書くべきだ」みたいなことを異口同音に職業ブロガーの方が書いておりました。

それは多分、本当のことだと思います。

でもそうじゃない人がいても許されるのだと僕は思いました。

だから僕自身は自分が読みたいものを書くように努めたいです。頭の中にあるモヤモヤした思いを言語化したり、自分の言葉で事象を定義したりしたいのです。

極めてマスターべーションに近い行為だと思っています。自分ではオ◉ニー日記と呼んでいます。

ただ今日も、自分のブログを利用して勝手にスッキリさせてもらいました。僕は今後もちょっとアタオカだけどモーレツに応援してくれている自分という1読者の為に、クッソしょーもないことを書き続けようと思っています。

だからここまで付き合って読んでくださった方には、感謝しております。

今日は最後に僕が小さなシアーセを感じている海の写真でも連貼りして締めたいと思います。残念ながら、僕はキラキラというよりギラギラなおっさんですが、自分を喜ばせる方法と小さなシアーセの見つけ方だけは熟知しております。

皆様にも小さなシアーセが訪れますように。

ありがとうございました。

⇧逗子海岸にて。SUPで沖に出るとイワシやサバ、きびなごの大群を見ることができますし、たまにトビウオがボードを並走するなんてこともあります。SUPしてみませんか!!

⇧逗子マリーナの夕日。本当はヤシとヤシの間に夕日を持ってきたかったのですが。残念。

⇧逗子マリーナの端っこで見た景色。写真よりも富士山は大きく見えます。灯台があるのが江ノ島です。富士山と江ノ島がちゃんとフレーム内に入ってその距離も離れていないから、僕は逗子から見る富士山がとても好きです。

⇧逗子・葉山住民が大好きラ・マーレです。美味しいし、雰囲気あるし、サービスも良いのでここが嫌いな人はいないかと思われます。テラスからは富士山・江ノ島が望めます。一応フレンチレストランとされていますが、パスタもあるのでフレンチイタリアンと認識しています。都内の同クオリティレストランの半分くらいの金額で食事を楽しめます。ランチやドリンクだけもOKです。

⇧葉山には、こんなドキドキするような小道がたくさんあります。小道だけの写真集があるくらい葉山の小道は絵になると思います。ただブラブラするだけでちょっとシアーセな気分になれるのです。

⇧葉山のアイコン的な場所、真名瀬(しんなせ)のバス停です。写真では判りにくいのですが、窓の奥には富士山が見えています。一眼レフのカメラならバッチリ写るかもしれません。とても絵になる、バエる場所です。

⇧秋谷にて富士山。秋谷のことを南葉山、という人もいますが、住所的にはここは横須賀です。御用邸があったり、葉山ブランドの大きさは理解しているのですが、横須賀も素晴らしい土地なので横須賀は横須賀で良いと思います。

⇧鎌倉、由比ヶ浜海岸にて。早春からの景色、ワカメ干しです。春の風物詩、ですね。この景色を見るたびにこれから寒さも和らぎ、過ごしやすくなっていくのだなぁと思います。春ってなんとなく希望を感じる季節だと勝手に思っているのですが、ちょっとだけ良いこと起きそうだなぁ、これから新しい日々が始まって行くんだな・・・というような気分にさせてくれる、僕にとってはそんな風景です。
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