気がついたらオリンピックが終わってしまっていた。もうパラリンピックが開催されている。
ワタクシはバリバリの体育会出身者なので、個人的にオリンピック期間中は、毎度の寝不足と飲酒による二日酔いを覚悟の上で観戦を続ける、そういうイベントだった。今回もそうなる予定だった。でも最初から何かこれじゃない感が漂い始め、ワタクシの中の松岡修造的な熱意はブレーキがかかっていった。
今回のオリンピックも日本選手団の健闘は素晴らしかったし、見ごたえのある試合や対決が多数あったと思う。だけど今思い出してもなんかドロドロしたものが拭い去れていない。。
もっとオリンピックって面白くなかったっけ?
こんなにホームチームディシジョンって多かった?これ誤審じゃなくてもう買収だろ・・・選手たちからこんなに不平不満の出るオリンピックってあったっけ?なんでルールの前に性の定義から勉強しないといけないのよ・・・そもそも多様性とか持続可能とか、ちょっと前まではスポーツやオリンピックにはない言葉だったんだけど・・・
もう何なんだ、カオス過ぎんだろ。。。
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【BANDEL】スポーツの商業化、政治化はちょっと前から少しずつ色濃くなっていたけれど、素人目でもそんなレベルじゃ表現できないほどの巨大で暴力的なバケモノみたいになってしまった・・・。最早コイツをコントロールできるのは選手でもコーチでも協会でもなく、もしかしたら国家レベルでも無理なんじゃないか・・・。
言葉に出来ないような、諦めにも似た失望感のような、よく分からない喪失感みたいなものを今回のオリンピックで抱いてしまった者は少なくない気がする。
次のロサンゼルスオリンピックはどうなるんだろう。
ただただアスリートの圧倒的な身体能力や技術を見て、楽しく応援することだけに集中できるだろうか。政治もプロパガンダもない、五輪憲章に沿ったオリンピック・・・
そうなるといいな・・・
まぁでもアレだろうな・・・
ともかく、未来を担うアスリートの方々にワタクシが勝手に望んでしまうのは、「スポーツマンシップ」という美しいものを守り続けていただきたいな、という点に尽きる。 数年前には正直、そんなものは当たり前の話で、美しいものであるとすら思っていなかった。でも不正や買収、政治がスポーツに介入する現状を鑑みると、とても純粋で美しいものに思えてきた。 そもそもスポーツマンシップという言葉すら若い世代にはもう死語なのかも知れないし、現代に定着した勝利至上主義、という言葉との相性は最悪なもののようにも思える。
言うまでもないがスポーツは結果が全てで、勝者こそが最も賞賛されるべき存在である。
ただパリでも散見されたように名誉が伴わない勝利や賞賛しがたい勝利者の存在もきっともうしばらくは無くならないことだろう。オリンピアンのようなアスリートが、ジュニア選手ですら持っているスポーツへの公正さを持ち合わせていないのだから。
だけどワタクシみたいな昭和世代はウルトラマンや仮面ライダーを見て育ってきちゃったし、武道の精神性みたいなものを強く教えられてきた。だから正義が悪を成敗するところをやっぱし見たい。ドーピングなどの不正を過去に行った選手をじゃんじゃんやっつけて欲しい。汚い買収や政治で成り上がった選手を、実力で圧倒して欲しい。それが言うほど簡単じゃないことは百も承知だが、これ以上スポーツの純粋な部分を汚されるのは、見るに耐えない・・・。
ルールを遵守出来てこそスポーツは成立するものだし、相手がいないことには勝負すら生まれないので、常に正々堂々、勝っても負けても、相手への敬意を是非観客に届けて欲しい。
長々書いて当たり前な結論になってしまったけれど、今回のパリでも日本のアスリートの言動はとても美しく、またカッコ良い選手が多かったと思う。次回、ロサンゼルスでも世界に見せつけて欲しいな、と願います。
とここまでマジメに書いたけど、『スポーツマンシップに則り」という言葉を「スポーツマンヒップにモッコリ」と初めて言ったのは誰なんだろ?今の世に生まれてたら、ソイツはラッパーとして天下を取っただろうなぁ、生まれてくる時代を完全に間違ったな、と思う次第です。
お後がよろしいようで。
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