少し前に、僕の煮干しラーメンに対する深い愛について書いたのだが、ちょっと違った面からまたラーメンについて書きたいと思います。 皆さんにもソウルフード、というものがあるでしょうか? もうざっくりした答えですけど、僕の地元神奈川県民からすれば、崎陽軒のシウマイ及びシウマイ弁当はソウルフードに該当する人、多いと思います。 大阪の人にしてみたら、粉物でしょうか?お好み焼き、たこ焼きなど。香川県なら、うどんでしょうね。北海道ではジンギスカン、東京はもんじゃ焼き、茨城ではアンコウ鍋・・・というように47都道県でも色々ありそうですし、そういう土地柄に関係なくても個人の思いそれぞれにソウルフードはあると思います。
ソウルフードとは何か、AIに尋ねてみると『食材や料理技術、歴史や文化の背景が深く結びついた、それぞれの国や地域の「魂の食べ物」を指す言葉です』と返ってきました。
「魂の食べ物」か、そうだよな、ソウルだもんな・・・AIやるやないか、と思いました。
食べ物や人や場所、モノ、自分の大好きなそれらには、必ずストーリーが付随しています。家族で旅行した思い出の場所だから、ハワイが好き、や自分をかばってくれたから、中学の担任が好き、などが例えになるのでしょうか。 何れにしても僕にもそうしたストーリーと強くリンクした好きなものたちがあります。
今日はラーメンに限定して、それを書いてみたいと思います。僕の「ソウルラーメン3選」です。
僕は神奈川県川崎市の出身です。父親は普通のサラリーマンで職場は都内のようでした。 たまに接待や会社の飲み会があると、寿司や焼き鳥などのお土産を持って帰ってくれました。 その一つが「直久」のラーメンでした。長方形の箱の中に麺と具、スープが入っていたのをよく覚えています。 今の時代と違って、ラーメンはまだここまでポピュラーではありませんでした。ラーメンしか取り扱ってない店は少なく、町中華の一品がラーメンという位置付けでした。 家族で中華料理店に行くことはありましたが、僕はラーメンではなく別のものを頼んでいました。
ある日父親が、今日は銀座で仕事だったとつぶやき、お土産を皆に見せました。それが「直久」との初めての出会いです。母親に調理してもらい、初めて食べたのですが今でもあの衝撃的な感覚を覚えています。
「ラーメンってこんなに美味しいの?」と口に出したことまで、記憶の中にあるのです。
父親にせがんで、わざわざ銀座のお店まで連れて行ってもらったことが何度もあります。当時直久は銀座松屋の地下にありました。エスカレーターで下って行く間の「うわーこれからラーメン食べるんだ!」と感じた幸せな想いや入り口のレジ前に陳列されていたお持ち帰りのラーメンの箱が山積みにされた景色などは40年以上経った今でも鮮明に思い出すことができます。もちろんあの油の浮いた綺麗な醤油ラーメンのスープの味、シコシコな麺とのハーモーニーも、僕の脳みそを違う世界へと誘ってくれました。
子供の頃の幸せな記憶とラーメン好きになったきっかけの味として、僕にとって「直久」のラーメンは忘れられない味の一つ、「ソウルラーメン」になりました。
直久のラーメン店舗は少なくなってしまいましたが、今でもあの時のように自宅用のものが販売されています。幸運なことに地元のスーパーでもそれが売っているので、気持ちを入れて何かをしたい時にはつい買ってしまいます。 僕は年間の3分の2を地方で過ごす出張族でそんな生活を10年以上、続けてきました。なので年間平均で大体100杯前後のラーメンを10年以上を食べ続けてきました。 美味しいラーメンにはたくさん出会いましたが、結局僕が初めて直久を食べた衝撃を超えることはありませんでしたし、今後もないのだと思います。
なんだかんだで子供の頃に食べて好きだったものが、自分の食好みのコアになっているのだ、とつくづく思います。
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僕の2つ目の「ソウルラーメン」は、ホープ軒の一杯です。
ホープ軒は、武蔵村山や吉祥寺、千駄ヶ谷にもお店があります。また最近ではスーパーでも自宅用のものが売っており、ホープ軒好きにはたまりません。 それらの場所と自宅用のもの、全てコンプリートしましたが、僕が最もこだわりを持っているのは、千駄ヶ谷店で食べる、というものです。
理由は、目の前に国立競技場があるから、となります。
国立競技場は東京オリンピックによって外観はかなり変わってしまいましたが、ホープ軒は僕の知るホープ軒のまま、今も存在しています。 僕は元陸上競技選手だったのですが、国立競技場には、何度となく通いました。ほとんどが自分の試合の為です。 初めてホープ軒のラーメンを食べたのは、高校1年生の時でした。
丁度初めての国立競技場での試合で、僕は惨敗しました。おそらく酷い落ち込みようだったのでしょう、陸上部の顧問が帰り際、「ラーメンでも食うか」とホープ軒に連れて行ってくれたのです。ホープ軒の味は、初めての僕にとっては「敗北の味」でした。刻まれた敗北の記憶と、その後のあまりの美味さから小さな癒しを与えてくれたラーメンとなりました。
その後、国立競技場では勝ったり、負けたりもありましたが、良い結果を出す方が多かったように思います。僕の中では「敗北の味」ではなくなり、それこそ次はもっと良い記録を出そうという「希望の味」になりました。まさしくホープです。 それからも国立に来るたびにホープ軒のラーメンを食べ続けました。競技を辞めてもう数十年が経ちましたが、今でも千駄ヶ谷のホープ軒に行くと、背筋が伸びます。と同時に最初にここに連れてきてくれた顧問の先生のことや競技人生で起きたことが自然とあふれてきます。 あのおしぼり、ジャスミンティー、そしてネギ入れ放題のボウルと背油たっぷりの極太麺、何も変わっておりません。 自分が弱気になったり、元気がなくなりそうな時に、特にホープ軒のラーメンが食べたくなります。今でもやっぱり僕にとっては「ソウルラーメン」なのです。 今は都内に住んでいませんので、お店に行けない時は、自家用のものを食べて、ここぞの時には千駄ヶ谷で国立競技場に手を合わせながら、ホープ軒のラーメンをすすりたいと思っています。
最後3つ目の僕の「ソウルラーメン」が山岡家の一杯です。
今でこそ山岡家はいろんな場所にあるチェーン店となりましたが、僕が大学生だった頃、山岡家は全国に1店舗しかありませんでした。それが山岡家牛久店になります。 僕の通った大学は、ここから車で約30分くらいのところにありました。当時はよく仲間や部活の先輩・後輩と飲み明かし、下戸に運転をさせて深夜の山岡家に通いました。 皆んなお金はありませんでしけど、ラーメン1杯分の小銭だけは持っていました。どうしてもお金のない奴は、先輩が必ず払っていたのを覚えています。 僕の大学生活は部活が中心ということもあって、苦しいことも多々ありました。特に怪我が多かったので、暗い思い出も幾つか出来てしまいました。でもあれから30年、楽しい思い出ばかりを思い返してしまうのは、最高の仲間がそこにいたからだと思います。 その中に山岡家のラーメンも忘れがたいものとして記憶の中に残っています。ちなみに当時は僕たちは山岡家と呼ばず、牛久ラーメンと呼んでいました。このようなチェーン展開されるような有名店になるとは、誰も想像していなかったと思います。 僕が今住んでいる場所に、残念ながら山岡家はありません。でも出張や遠出した時に山岡家を発見してしまうと、必ず食べてしまいます。 やっぱり山岡家のラーメンを食べると元気になったり、明るい気持ちになります。やっぱり山岡家は僕の中の「ソウルラーメン」なのです。
以上ざっくりと僕の「ソウルラーメン」を書いてきましたが、こういう食べ物に自分の物語やいろんなストーリーがある、というのは結構幸せなことなのかもしれません。
すごく不思議なのですが、例えば1年前に僕は山岡家牛久店に行く機会がありました。出張先が牛久近辺だったので、流れでそうなったのですが、ラーメンを食べた途端に、大学時代の忘れていた記憶が突然蘇る、ということがありました。こういうことが僕には多々あって、その食べ物を食べると忘れていた遠い記憶が勝手に蘇るのです。
きっと知らず知らずのうちに僕たちは、記憶をタイムカプセルのように場所や物、食べ物などに埋めているのかもしれません。
その記憶と再会できた時には、とても温かい気分になります。ラーメンに限らずですが、そんな大好きな「ソウル」なものを今後もたくさん作り出して、そしてまた再会できたらいいな、そんなことを思う、休日の昼下がりです。
いやーそれにしてもラーメンが食べたくなりました。今夜は「ソウルラーメン」とはなりませんが、好きなラーメンを食べてみたいと思います。
では皆様も素敵な週末を。ご拝読頂きありがとうございました!
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