徒然日記

「感謝の日」がやってきた。

ワタクシゴトで大変恐縮ですが、昨日僕は誕生日でした。54歳になりました・・・。

どーでもいいことではあるのですが、サザエさんに出てくる波平さん、設定は54歳なのだそうです・・・。

波平とタメなのか・・・うーむ。

これを読んでくださってる方の中には、僕と年齢が近い方もいるでしょう。

でも僕のように無職で、未婚、独身という「3無い人物」もそうそうはいないと思いますので、その立場で今日は誕生日について書いてみたいと思います。

誕生日がいつからあまりめでたくなく、そんなに嬉しくない日になったのか・・・ちょっと思い出せません。

でもざっくり頭に思い浮かぶのは、30歳になった時です。

「もうオレは若くないのだな、おっさんに成ってしまったのだ」と落胆したあの日から、それが始まったような気がします。

それでも毎年誰かが祝ってくれたり、SNSを通じてコメントをくれたりしていたので、ちょっとは楽しみな日であったことは確かです。                     ただ、毎年毎年、なんとなくそういう気持ちが薄れるようになりました。

不幸自慢したいわけではありませんが、自分のことを愛してくれている人が身内以外にはいない、という事実は少なからず影響したと思います。                 家庭を持ったことのない者の悲哀、でしょうか。残念ですが、認めざるを得ません。

とちょっと暗い話になってしまいました。

でも歳をとってからの誕生日が、暗くて寂しいものだけに傾かず、大きな気付きを与えてくれたこともあります。

それはもう単純なことですが、年齢とともに生きてることがとてもありがたく思えてくるからです。

若い頃にはそんな考えはありませんでした。自分だけは、他の人よりも若くいられるだろうという考えが無意識下にあったのです。年齢を重ねるスピードも自分だけは、他の人よりも緩やかだろうという根拠のまるでない、アフォな思考がありました。                       今もそうですが、昔はもっとアタマが悪かったのです。

でも成人を過ぎてから、ポツポツ、病気や事故で亡くなる人が出てきました。もちろん、そこまで頻繁ではありませんが、やはり命について考えざるを得ません。              子供の頃から大好きだった有名人の訃報をメディアで見聞きする機会も増えてきます。今までなんとも思わなかったのに、歳を重ねてくるとショックを感じるようになりました。

そんな背景もあり、古くからの友人・知人、新しくできた友達などからの「お誕生日おめでとう」がとても沁みるようになってきました。                    それに対してはもちろん、「ありがとう」を返します。でもそのありがとう、に関する自分の心の込め方は、年々強くなっている気がします。

話は逸れますが、ちょっと前に自分のブログでサービス業に携わるものの「ありがとう」を考察するようなことを書きました。                         僕のブログは自戒の念を込めることが多いのですが、「お礼」と「感謝を示す」ことの違いを示唆するような内容になっています。                       それらは似て非なる言葉で、前者はやや義務が入っていて、後者には相手を敬うものが入っている、ようなことを書いた記憶があります。                    歳をとってからの「お誕生日おめでとう」に対して、もちろんお礼の意味も含まれますが、僕はいつしか心を込めて感謝を示せるようになりました。

その点は本当に自分が歳を重ねても「良かった」と思える数少ないことに挙げられると思います。

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紅茶房

あともう一点、本当に良かったなと思えるものがあります。               それは両親と家族、ご先祖様へ感謝を示せるようになった、ということです。

まぁ先にも書きましたが、僕は「3無い人物」という社会不適合者です。両親と家族ともそこまで仲良しな関係を築けてきませんでした。                     でも歳を重ねるにあたって、両親がどんな思いで僕を育ててくれたのか、兄や妹がいたことがどれだけありがたかったのか、ふとした瞬間にそれを教えてくれることが増えてきました。

一人っ子の友人は兄弟がいることを羨ましがります。また片親や両親との関係が複雑だった人からも、やはり「羨ましい」という言葉を聞かされました。

当たり前に存在することほど、感謝の気持ちが湧かないものなのだ、ということが徐々に分かるようになりました。もしかしたら僕の気付きは遅かったのかも知れません。ただ知らないで人生を終えるよりは、マシだったと思います。                   今でも僕は両親と些細なことで口論になったりしますが、でも両親が生きていること、家族がいることだけでもしみじみありがたいと思えるようになりました。

あとは、ご先祖様に対しても同様の思いです。自分の親にももちろん親がいます。なので祖父母は計4人となります。その祖父母にももちろん親がいるので8人・・・それらの方々を足していくと・・・と考えた時に自分のご先祖様が何人いるのか、急に知りたくなりました。                                       計算式は(2のn乗-1)X2、となるようです。nは何代前を求めるかで数値が変わります。

自分で計算しようと思ったのですが・・・面倒臭いので、文明の利器に頼ります。     10代遡ると1024人、20代まで遡ると約104万人を超えるようです。       計算上、億の人を超えるのが27代付近で、30代ではその数約10億超えになるそうで・・人類の歴史から始めたら一体どれだけのご先祖様がいるのか、クラクラしてきました。

これが僕は一人ではあるけれど、一人で勝手に生まれてきたわけではないのだな、と強く思うようになったきっかけです。                           普段は不毛なことをイチイチ考えてしまう僕ですが、これに関しては全く不毛だとは思えません。                                      僕の1滴の血液の中にどれだけ命の系譜があったのか、それを考えるとやっぱり誕生日にはそのことを考えざるを得ません。

だからいつしか僕にとって誕生日は一年の中で最もありがとう、を考える「感謝の日」となったのです。

誕生日の夜に両親から連絡があり、僕宛の荷物が届いているとのことでしたので、実家に向かうことになりました。今年の誕生日前、両親から食事の誘いがあったのですが、数日先に友人が誕生日を祝ってくれる、とのことだったので僕はそちらを優先したのです。

なので誕生日当日、一応直接会って感謝を伝えられる機会が出来て良かったと思い、実家に向かい少しだけ話をしました。                           親からは、大量の食料と僕を気遣う言葉をかけてもらい、久々に良い時間を過ごせたと思っています。

自宅に戻り、冷蔵庫に野菜を入れていたら、1通の封筒が入っていました。

それがこの封筒です。

中には諭吉が一枚入っていました。

両親からは、毎年誕生日には言葉をかけて貰ったり、ささやかなプレゼントを貰ってきたのですが、このような気遣いはなかったと思います。                  昨年僕は会社を辞め、現在独立のために奮闘を続けています。正直、上手くいかないことも多々あるわけですが、そういう類のことを両親には報告しないできました。

恐らく、何も言わなくても両親は僕が思っている以上に色々と感じていたのだと思います。

封筒をまじまじと見ながら色んな感情がこみ上げてきました。

それをここでは書けませんが、「感謝の日」とした誕生日に、例年以上のインパクトがあったのが、今年のそれでした。                             写真を載せるかどうか、ちょっと考えたのですが、いつかこの日を振り返ることが出来るように、自分の為に載せました。自ブログなので、ご容赦くださいませ。

あと友人からもお酒やアパレルなどのプレゼントも貰いました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。もう一つ、前に僕のブログでも紹介した天才画伯が、プレゼントと共にこれを描いてくれました。                                   これも自分の為に残させてください。

こんな風に真面目な感じで書いてますが、正直普段の僕は「あのチャンネーが」とか「パイオツカイデーで」とかでキャッキャしてしまう、昭和のおっさんです。            これを描いた人は、僕のそういうところを長いこと知っているので、セクシー風の絵を描いてくれました。相変わらずの天才っぷりに明るい気持ちになりました。                                  もしこの絵と描いた人物に興味があれば、「吉山りさ」でググってみてください。    自分のSNSには彼女の写真も貼っているのでリンクを貼っても全く怒られないと思いますが、諸事情でやめておきます。彼女のことをモデルになる前のガキンチョの頃から知っているので、今でもこうして応援もさせてもらってます。                           まだまだ有名ではありませんが、芸能活動もしているモデルです。面白い、と思った方はインスタでもフォローしてあげてください。話が逸れて、すみません。

というわけで、「3無い人物」で社会不適合者のワタクシではございますが、十二分に幸せな「感謝の日」を送ることが出来ました。                        もっと残念で不幸な話を期待された?方もいたかもしれませんが、今年に関してはとても幸運だったと思います。                               ただ、やはりあくまで今年はこうでしたが、来年はとても寂しい「感謝の日」になるかもしれません。                                      そのヘンな覚悟?みたいなものは、もうずっと前に固めたのでそうなったら悲しいですが、きちんと受け止めることはできると思います。

誰からも誕生日を祝ってもらえない人も世の中にはきっといることでしょう。       僕は残念ながら、そういう人に何もしてあげられません・・・。              でももしそんな人が周りにいたら、ハグしておめでとう!と伝えることくらい出来たらいいな、とは思ってこれまで生きてきました。                                 この文脈だけ、見ると特に若い人には「ウワッ、キモっ」と思われるかもしれませんね・・・。                                     でもシアーセそうに見えて孤独を感じてる人、っていうのは世の中には意外と少なくない気がします。                                    僕はそういう人を見抜くのがちょっと得意で、前職でも相手には恥ずかしがられもしましたが、自分では何の恥じらいもなくおっさんやおばちゃんにハグをしたりしてきました。  強引に、突然そんなことをするので、ドン引かれる間もなくコトを終えてしまうのがコツでそうすればお互いテレが少し無くなります。一応まだ訴えられておらず、キモッと言われることもなく、笑って許してもらえてるので今後もそうしたことは続けたいと思っています。

これを読んだ方で寂しい人、どこかでもし会ったらサバ折りするくらいのハグを僕がキメるので覚悟しておいてください。あとあなたが元気でいること、こっそり祈っておきます。

何だか話のオチがよく分からない方向に行きましたが、そんなことを思う朝です。

今日が皆様にとって素晴らしい日となりますように。ありがとうございました。

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