徒然日記

しらすを食べて白州を語ろう、の巻。

観光で湘南、と呼ばれる場所にこの夏訪れた人も多いと思います。

茅ヶ崎で、サーフィンをする人たちを眺めながらお洒落なカフェでゆっくり過ごしたり、鎌倉で神社仏閣巡りを楽しんだ人もいるでしょう。江ノ島あたりの飲食店で海鮮丼に舌鼓をうった人もいるかもしれません。

僕は逗子という街に住むおっさんです。食べることが大好きなのですが、地元の味として愛してやまないものがあります。それが生しらす、釜揚げしらす、しらす干しです。とにかくしらすが大好きなのです。                                意外なことに、しらすを日常的に食べている湘南住民は意外と多くはなく、そのためスーパーで売り切れになることもありません。                        生しらすはその足の早さからそこまで流通していませんが、釜揚げしらす、しらす干しはストックがあるのか、台風時期でも安定的に供給されています。

ご飯のおかずとしては、かなり優秀です。 

薬味は万能ネギ、生姜、シソ、ミョウガがちょっとずつ揃っていたら、もう最高に贅沢な丼になるでしょうね。ただ薬味はあればなお旨し、で仮に醤油だけでもあればもう即天国行きです。しらす本体の味を楽しみたい方は、あえて薬味抜きでかきこむのも良いと思います。僕もたまにはそうして食べたくなる時があります。                  味変をしたい人は、ポン酢・めんつゆなどをかけてもいいですし、オリーブオイルを少したらすだけでイタリアンな味わいも楽しめます。マヨネーズ醤油もありですね。

個人的に一番好きなのは、生しらすと釜揚げしらすのハーフ&ハーフ丼で、1丼で2度楽しめるようになっています。生も釜揚げも、どちらも甲乙つけがたい美味しさがあるので、僕みたいな欲張りにはぴったりです。そしてあまりこれは有名ではないのですが、生しらすにたっぷり粗挽きのブラックペッパーをかけます。お店によってはブラックペッパーを用意してなく、あってもホワイトペッパーだったりするので、もし湘南で生しらすを食べる!と決めてる方は、ブラックペッパーの小瓶を是非持参してみてください。大した荷物にならないので、絶対オススメです!これは地元の漁師さんに教わった食べ方なのですが、しらすの甘さが引き立って、後味も良くなります。胡椒の香りもしらすに良く合うので、生しらすをより楽しめると思います。

季節によっても味が違うのも、しらすを味わう上で楽しみの一つです。相模湾のしらすの旬は4−5月とされていますが、個人的には真夏のしらすが一番好きです。それは肝の味なのか、甘さの中に苦味が感じられるからです。それこそ生命力を感じさせますし、ブラックペッパーと一番合うのも真夏のそれだからです。10-12月は脂も乗ってくるのでそれはその良さもあります。どの季節のしらすが自分の好みと合うのか、それを見つけてみるのも楽しいと思います。

湘南のしらすは、禁漁期間が設けてあって、それが1月1日から3月10日までです。年明け後、解禁日が3月11日となるので、個人的にこの日は自然とあの震災のことを振り返ることができる「命の日」と勝手に決めています。

しらす好きな人なら、ご理解いただけると思いますが、しらすを食べているとあまりにもたくさんの「目」があること、そこにそれこそ目がいきます。                 一般的にはしらすは、カタクチイワシの稚魚を指しますが、マイワシ、ウルメイワシの稚魚もしらすと称されます。時々、イカやタコの稚魚なども釜揚げやしらす干しには混じることがありますね。                                  一つのしらす丼には、あまりにもたくさんのイワシの稚魚がおり、その一つ一つに目があります。僕のような鈍感な者でも1杯の丼の中にどれだけの「命」が詰まっているのか、当然気付くことになります。                              そして3.11に関しては、絶対に風化させてはいけない史実だと個人的には思っています。

まぁそんなこともあって個人的には、しらす漁解禁日の3月11日は毎年楽しみでありつつ、色々と考える日になっています。残念ながらここ数年は、3月11日は、天候不良によって不漁となったり、漁獲量が少なすぎてその日に獲れたしらすを食べられないことが多いのですが、家にいるときは冷凍のしらすを買って食べるようにしています。

当たり前の話ですが、イワシは全国で獲れますのでしらすが流通している場所は多いと思います。各地でのしらす食べ歩きもなかなか面白いかもしれません。僕は地元以外では、伊勢湾のしらすが大好きです。                             

とここで締めたいところですが、もう一つ僕が好きなシラスについても書いておきたいと思います。

それが「白洲次郎」です。正確に言うと好きだった、というふうになりますが。

白洲次郎の伝説については、もうここで詳細を書く必要はないと思います。         GHQ占領下の日本で、マッカーサーに対してガチギレした話は日本人としては胸のすくような話ですし、ホイットニー准将に「あなたももう少し勉強すれば英語が上手くなりますよ」などとした逸話は彼の神格化に大きく寄与したものだと思います。そうそう、吉田茂のサンフランシスコ講和条約会議でのスピーチが英語から日本語になったのも白洲の助言があったから、という話になっていますね。白洲次郎に関する本を読み漁っていた時期もあり、日本人も捨てたものではないのだなと長らく思っていました。               彼の自伝ともいうべき「プリンシプルのない日本」はとても良い作品であると思います。日本人の問題点がよく描かれており、その問題は現在の日本や政治家にも負の歴史、悔い改めない悪しき習慣として引き継がれているからです。先見の明があったのは間違いないことでしょう。個人的なことですが、自分が海外生活を始める前にこの本を読み返した記憶があります。日本人として異国の地でどういう風に振る舞うべきであるのか、参考にしてもう一度頭に入れたかったからです。ある意味、それは自分の海外生活において役に立ったと言えます。

ただ、僕はこの本を読めば読むほど、小さな違和感を感じずにはいられませんでした。確かにたくさんの問題やこうあるべきだ、というようなことが述べられていてそれは正しいと思えるのですが、それがなぜか他人事のように書かれている思えたのです。        マッカーサーを怒鳴りつけるほどのカリスマと勇気を備えた男なら、なぜその問題を解決するような方向に尽力しなかったのでろう・・・という疑問が残りました。

それから数年か経過し、インターネットが普及します。そして新聞やニュース、報道されてきたもの以外の情報も見聞きできるようになりました。                 フェイクニュースや悪意のある情報は昔も今も散乱していますが、今まで一般人が知り得なかった情報や封印されてきた事件、真実なども公開せざるを得ない時代が来たのです。   情報というものにどれだけの価値があったのか、それを日々知らしめられています。

僕は戦後のGHQでの活動内容や、日本人の歴史観や国家観などに大変興味を持っていましたので、そういった資料やそれに携わった人たちのことを調べるのが趣味のようになっています。間接的に白洲次郎に関しても、再び注目するようになりました。

結論、僕は白洲次郎は自分が聞いていたような伝説的な活躍をした人物ではないと思うに至りました。

あくまでこれは個人の意見なので、同意を求めるようなことはありません。そう思う最大の理由は、マッカーサーに宛てたとする書簡の中身で                「Your most obedient servant, Jiro Sirasu」というものがあったという事実を知ったからです。                                     日本語では『あなたの最も従順な下僕 白洲次郎』と訳されていますが、マッカーサーを怒鳴りつけた男が自らをobedient servant などと書くでしょうか・・・。        公務員を英語でcivil servant(公僕)と呼んだりはしますが、obedient servant はある意味、あなたの奴隷とも解釈できる言葉です。日本人の誇りは、そこには一片もありません。

その他にも、もし破天荒な伝説そのままの人間であれば、アメリカの公文書の中に必ず危険人物、もしくは要注意人物として白洲の表記があったと思います。            でもそういう扱いのものはありません。そもそも、アメリカに対して牙を剥き、日本の宰相を転がすような人物であったのなら、トラブルに巻き込まれたり、危険な目にあった話、それこそたくさんの武勇伝が出てくるはずです。公文書に残らないわけがありません。   一般社会でもそうですが、革新的な人が新しいことを推し進めようとしたら、必ず周囲と一悶着あるのが世の常です。それすらもない・・・。

結局、こんな人が日本人にいたらいいな、という願望を白洲次郎の中に見ていただけだった、という個人的な感想に落ち着きました。

イギリス時代の逸話や、ファッションショーに出場するほどのルックス、スポーツカーを乗り回すカッコ良さは彼のイメージを確立するのにぴったりだったのだと思います。

歴史上の人物で過大評価されてる人、過小評価されている人、他にも様々、あるのかもしれません。真実はどこにあるのか、時代が古ければ古いほどに解明は難しそうですが、ジグゾーパズルのように、最後の1ピースを紛失しても、その形状は明らかになります。そんな自分なりの歴史に対する楽しみ方を見つけられました。誰かにそれを報告したり、話をすることは無さそうですが、人生の暇つぶしの一環として、そういうものを見つけられたらいいなと思います。

情報の取捨選択、今後を生き抜くにはこの能力が特に必要になっていますね・・・。   色々と大変そうですが、情報に惑わされたりしながらも今後も「自分なりの解釈」を大切にしていこうと思います。                              本当に有益な情報を知っていても、それはきっとタダでは得られませんし、本当にヤバい情報とかは世には出なくて当たり前ですからね・・・常に考える癖と今ある情報をなんとなくでも頭に残しておけば、そこから繋がることもあるかもしれません。

てなことを思う夜です。オチがあまりにも当たり前過ぎるので、この間食べた生しらすの写真を貼ってサクッと締めたいと思います!なんだかよく分かんないけど、とりあえずしらすが食べたくなった!と思っていただけたら本望です!!

では皆様も良い1日を。ありがとうございました。