徒然日記

大谷翔平の活躍の裏で思うこと。

大谷翔平がスゴイ。もうスゴイという表現では足りないくらいの偉業を見せつけてくれている。

先日も大谷翔平がホームランを打った瞬間、僕は電車の中にいたのだけど、おっさんが「よっしゃ!」と思わず声に出してしまい、赤面してるシーンをみた。           でも車内の空気は、そんなおっさんにとても温かかった。優しい空気が流れていた。なんかいいな、と思えた。

こんなスーパースターが日本にもいてくれることで、どれだけのポジティヴな空気を国内外に生み出してくれているのだろう。                           ともかく、生きているうちに彼のプレーを生で一度くらいは見ないと後悔しそうだ。    大谷がスゴ過ぎるからあまり国内では目立っていないけれど、今年のMLBだけでも高橋、ダルビッシュ、今永、鈴木、菊池、松井、などが活躍している。NBAでも日本人プレイヤーがいるし、サッカーの日本代表組は、Jリーガーが数えるほどしかいないくらい海外組が多い。その他メジャーなスポーツではないにしろ、世界で活躍するプレイヤーは、年々増加傾向にある。

思えば、いつからこんな風にスポーツの国際レベルで、日本人は活躍できるようになったのだろう。先のパリオリンピックでの日本の金メダル獲得数は、世界3位である。      だからと言って単純に世界3位のスポーツ大国だ、にはならないと思うけど、世界有数のスポーツ環境が整った国になっているのは間違いないところだろう。

昭和の時代と令和の今、スポーツ界は、何が違うのだろう。僕のような凡人がちょっと考えただけでもその明確な差を上げることが出来る。                               箇条書きのようにまとめるとすれば、選手の体型の変化、日本人にあったトレーニングの確立、スポーツ施設やそれを取り巻く環境の向上、などであろう。            僕はスポーツと共に生きてきたところがあるので、それらの変遷を見てきたが、昭和は過渡期であったこと、今になって実感できる。選手もそうだが、トレーナーやフィジオ、コーチまでもが請われて海を渡っている。隔世の感をおぼえずにはいられない。

でも上記以上に変化したものは、選手の意識でないか。それが一番大きな理由だと思う。

僕らの時代、世界はまだ遠い存在だった。

日本一になったら次はアジアレベル、世界レベルを目指していたのだが、選手も周りも世界は遠い存在だと感じていた。確かに距離はあったのだけど、今の感覚で当時を見てみると、想像していた差ほどには、実際無かったように思う。勝手に距離があまりにもある、と思い込んでいた。単純に経験が十分では無かったのだ。                      その距離が少しずつ縮まっていったのは、各スポーツに先駆者のような選手が生まれ始めてきたからだと思う。大切に蒔いた種から、やっと芽が出た、といったところだろう。

サッカーであれば三浦和良、中田英寿、バスケでは田臥勇太、水泳であれば、鈴木大地や岩崎恭子・・・もうその他プロアマ含めて枚挙に暇がないくらいの先駆者、レジェンドを上げることが出来ると思う。

そんなスポーツ界のレジェンドの中で、個人的に一番印象に残っているのは、野茂英雄である。

野茂以前にも村上雅則という人がMLBにいたのは知ってるが、王貞治や長島茂雄ほどには、野球界に爪痕は残してはいない。もちろん村上氏が偉大である事は、揺らぎもしない事実ではあるけれど、先駆者とは呼べないと思われる。

内外での今の大谷の影響は、凄まじいけれど、当時の野茂の影響もまたスゴかったように思う。そもそも野茂は、日本球界とは喧嘩別れするような形で海を渡った選手である。     当時日本のメディアは、8割とか9割ではなく、ほぼ100%に近い割合で野茂を叩いていたと記憶している。
ワガママだ、通用するわけがない、勘違いしている、調子に乗りすぎだ・・・。そんな論調が全国誌の新聞に載っていたのである。

それはもう、言葉の暴力みたいなもので「なぜ同じ日本人を日本人は応援できないのだろう・・・」と思っていた。僕は野茂ファンだったので、余計にそんな風に思っていたのだが、確か野茂は家族、自分の父親からも渡米に苦言を呈されていたような・・・どれだけ孤独であったことか・・・。

当時、ネットはまだ普及していなかったけど、もし当時が今であるならば、本人が立ち直れないくらいの罵詈雑言が書かれていただろう。でもきっと当の野茂本人は、そんなものを一瞥もくれずに、自分のやるべきことに集中できたのだろうけど。実際、メディアにはほとんど語らず、開幕に向けて調整していた映像が脳裏に残っている。

果たして野茂は、全ての批判を自分の活躍と結果で黙らせて、そうした周囲の手の平を返させた。あんなに気持ちの良い手の平返しは、もう今後一生、見る事は出来ないだろう。それほど見事なものだった。                              どんなに批判を受けても、雑音は全て断ち切って、自分のやるべきことに集中出来ていた。疑うことなく、自分の実力と信念を最後まで信じていたのだと思う。           今考えてみてもなんて度胸、勇気の持ち主なんだろう。かっこいい漢であった。     だから今でも僕は一番好きなプロ選手を聞かれると、野茂英雄と答えてしまう。     僕に野球経験は無いけれど、心の底から彼のような勇気が自分にも欲しい、と願ったものだ。                                       その後、イチローや松井などの日本選手達が続き、大谷のような選手が現れた。その系譜の先頭にいる野茂のような人がいたこと、もう少しメディアでも取り上げて欲しい・・・。           

話は逸れるけど、今の音楽界も世界進出が普通になってきている。これもネットやサブスクの影響が大きいけれど、やっぱりこれも意識の変化が大きいのだと思う。その証拠にアーティストがわざわざ英語で歌っていない。もちろんワンオクみたいなバンドもあるけれど、ベビーメタルとかYOASOBIはほぼ、日本語で勝負している。欧米人に寄せて行っていない。そこからして、もう昭和や平成とも違っている。これからもどんどん、ビルボードチャート上位に登場する日本人が増えて欲しいな、と願っている。

ということで、大谷翔平のことから、先駆者、パイオニアについて書きました。     だけど彼らの輝かしい歴史の前に少なく無い選手達が、きっともう誰も覚えていない大切なものを積み上げてきたからこそ先駆者が生まれ、大谷翔平へと繋がっていったのだろう。 まさしく大河の一滴、のような人たちかもしれないけれど、文化や人の歴史って、そうやって醸成されて熟成されていくんだろうなぁ。そうやって考えるとやっぱりちょっと感慨深い気持ちになるな・・・。

僕もちゃんとした「大河の一滴」となって、未来に1mmくらいは貢献できるうような老人になれるといいな。

まぁダラダラ書いてしまったけれど、そんなことを思う夜です。

たまに自分がもうこんなジジイになってしまって嫌になることはあるけれど、僕が見てきたものや見てきた人は、とても素晴らしかった。

歳を重ねるということは、悪い事ばかりじゃないな、とちょっと思いました。

皆様も良い週末を。