友人に心の病を持ち続けている人がいます。もう少し詳細に書くと躁鬱(そううつ)を患っております。 躁鬱とは、ザックリ書くと気分の落ち込むうつ状態と、活動的になるそう状態を繰り返してしまう病気のようです。 その友人は加えてパニック障害も持っておりましたので、外出することもままならず、ふさぎ込む時間が長く続きました。 4にたい、消えてなくなりたい・・・という言葉ばかりだったのですが、最近、気がつけばかなりポジティヴなやりとりが出来るようになりました。
なんでも「朝活」と称して、毎日カラオケを家族の方と楽しんでいるようです。
もう一度小さな箱でいいから人前で歌いたい、という目標が出来、今はそれに向かって歩み始めています。
友人はかつてプロのシンガーでした。
紅白やメジャーな歌番組に出るほどには売れませんでしたが、ゴールデンタイムの報道番組のエンディングに彼女の曲が使われたり、大手企業のCM曲に選ばれたりしていました。 今でもYouTubeでそれを見聴き出来ますし、アップルミュージックでも曲が販売されています。そんな彼女の目下の悩みは、「カラオケの点数が伸び悩んでいること」なのだそうです。どう返信するか、こちらも悩みましたが僕は「音程も大切かもしれないけれど、楽しむことだけに集中してみては?あとは魂を込めて!」というような返信をしました。
歌の経験もない自分がプロに歌のアドヴァイスをしてることは、よくよく考えたら滑稽です。まぁともかく心の病を持ってる方とのやりとりでは、必ずポジティヴなワードを偲ばせるようにしています。『頑張れ』とか『努力』もポジティヴワードではありますが、頑張りや努力が足りないのか、と受け入れられる可能性があるので使えません。僕は体育会上がり、脳筋ジOイなので「気合だ!」とか「魂!」というような言葉を使いがちです。
ただ、それらの単語にには複数の解釈を持たせることができますし、直接的な言葉ではないのでこうした方々にも使っています。また、これらの単語には僕なりの解釈があって、例えば、スポーツで必要なのは「根性」よりも「気合」なのです。個人的な見解ですが、根性は我慢に近い言葉です。諦めないという意味もありますが、スポーツをやっていたらそんなことは当たり前です。気合には自分が持つ全てのものを一瞬にして出し切る、みたいなイメージがあります。根性はある程度、誰にも発揮できますが、気合はそうではないところから、僕がよく口に出してしまうワードです。
僕は言霊というものを強く信じているので自分が吐く言葉には、それなりに意味や定義を考えるようにしているのですが、さっき彼女に送った「魂を込めて!」が突然アタマの中を巡るようになってしまいました。音楽のことを知らない輩が、プロだった者に対して歌に「魂を込めて!」ってなんなんすか?というひとり問答が始まりました。
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僕はスポーツにおいては専門家であった、と言えるだけのキャリア(まぁ長いだけですが)があるのでその観点からこの投稿をまとめてみたいと思います。 僕は音楽が好きでギターを習ったり、バンドを組んでた時期もあります。YouTubeでもプロはもちろん、ストリートミュージシャンの動画などを見るのも好きです。この子、いいなと思ったストリートミュージシャンがアルバムを出すことなどがよくあります。俗に言うSNSでバズって、メジャーデビューというヤツです。 楽しみに聴いてみるのですが、正直に書くと「あれ?」って思うことの方が多いのです。ストリートでは、とてもキラキラした存在感と聴いていて何か伝わるものを感じていたのにアルバムの中ではその良さが全く感じられないのです。 僕はこれが不思議でなんでだろ?と考えていた時期があります。一応、自分なりの結論があるので、それを書いてみます。
これは端的に圧倒的な技術の差、だと思いました。 そしてこの技術というのは、例えば歌のうまさ、みたいなものだけではなく自分の魅力をどんな時にでも最大限に出せる、そしてそれを人に伝えることが出来る能力だと感じました。1曲に込められる、魂の強さの違い、とも言い換えられるかも知れません。 じゃあ魂を込めるって、なに?と自問が続きます。シンプルに答えてみよ・・・
「覚悟をキメるってことかな・・・」
それを詳しく書く前に、ちょっと加えたいのですが、例えば、音読というものがあります。学校で「OXページからXOページまで、読んでみろ』とかありました。大抵、何も考えずただ声に出して読みます。当然、棒読みです。 そこに先生が、「演劇風に読んでみろ」と注文が入ったとします。そうすれば文章に臨場感や感情がより鮮明に加わることになります。これが「感情を込める」ということだと思います。
魂を込めるとは、その感情を含めたあらゆるものを、もう少し加えたものだと解釈しています。もう少し具体的に書いてみます。
スポーツであるなら、そのスポーツやチームへの愛情や忠誠、サポートしてくれる人たちや相手チームに対する感謝や敬意、行ってきた練習や技術、仲間に対する信念、などなど。 そうしたものを全部自分の中に入れておいて、最後に勝利に対して向き合う「覚悟」を固める、キメる。
ちょっとまとまりに欠けましたが、最後にこの「覚悟」が加わると、魂は込められるのだと思います。もともとのポテンシャルの高さ、技術などにこの『魂』を、足し算ではなく、掛け算で現したものがパフォーマンス、なのだと思います。
あらゆる分野で、プロ並みに優れたアマは必ずいます。またプロだけど、アマよりも技術が低いプロもいます。でもそんなアマでもプロになれない、勝てない理由は、一概には言えないことは承知しておりますが、上記の差が著しいから、なのではないでしょうか。『魂』の熱量の圧倒的な差、みたいなものだと個人的には思っています。
話が逸れますが、僕がギターを習っていた時、ギター教室の先生からは「とにかく基本をやり続けなさい。技術が全てだから。そうすれば人前で演奏しても、大丈夫だから」と言われました。心を込めて弾け、と言われたことなど一度もなく、とにかく基本・基本、技術・技術が口癖でした。 反面、小学校の音楽の先生は、「上手く弾こうなんて思わなくていいから、楽しんでやりなさい」と言いました。技術的な指導はほとんど無く、楽しめ、元気に演奏しなさい、出来るだけ大きな音を出しなさい、が口癖でした。
子どもながらに、どっちの先生が言ってることが正しいのか、困惑したことを今でも思い出します。だけど、今なら分かります。両方の先生が言ってること、両方とも大正解です。 これは例えて言うなら、登頂を目指す上でルートAから攻めるのか、ルートBから攻めるのか、という違いです。 言葉はちょっと違いますが、目指すところだけは同じなのです。
圧倒的に基本と技術を磨いてきたのなら者と常に常に楽しむことを心がけてきた者が、それを突き詰めた演奏をしたら。
優劣なく、どちらも素晴らしいものだった、となると思います。
話はまたしても逸れますが、先日、サッカー日本代表が中国に7−0、バーレーンに5−0と快勝しました。代表を長らく牽引してきた長友佑都選手は、今回メンバー入りをしていますが、この2試合は出場機会がありません。今の代表チームには久保選手、三苫選手、富安選手、伊東選手など技術レベルの高い選手がほとんどです。 長友選手はそういうタイプの選手ではありません。でもこれらのタイプの選手にはない持ち味が、長友選手にはあります。それが運動量と球際の強さで、チームを鼓舞する役割を担っています。ミスして叩かれたこともありますが、幾度となく日本を救い、チャンスを作って勝利に貢献してきました。
彼の最新のインタビュー動画を見ましたが「まぁ(自分は)上手い選手ではないので、魂のこもった戦う、その姿っていうものを見てもらいたいなと思います」というようなニュアンスのコメントしておりました。 彼の発言には「覚悟」を感じますし、タイミングよく『魂』という言葉の意味の、答え合わせが出来たような気がしました。僕の考え方があながち間違いでもないのだ、と思わせてくれました。 技術の高い選手が、運動量もあり、リーダーシップもあり、チームを鼓舞することが出来たら完璧です。でもなかなかそんな選手はいません。メッシもロナウドも運動量だけはチームナンバーワンではありません。 人にはきっとそれぞれの役割、役目みたいなものがあるので、そこを突き詰めたら良いのかもしれません。そこにもし『魂』を吹き込むことが出来たら、少なくとも悪い方向には進まないような気はします。 と、エラそうに長々と書いちゃったので、僕ももう少し色んなことを見つめ直して、行動のひとつひとつに『魂』を込めたいと思います。まずはこの投稿ですね。『魂」を込めて書きます!
全然関係ありませんが、昨日から突然文字を変換しようとすると、その文字が消えるようになり、困っています・・・ネットを見ると同じ問題を持つ人を多数発見して、対策法をひとつひとつ試しているのですが、一向に直りません・・・ホントに心が折れそうです。このブログのメールも設定したんですけど、全然機能しておりませんし・・・ なんでだよ・・・心は折れそうですが、うーむ、ちょっと諦めずにやってみます。
皆様の1日が素晴らしいものになりますように。ありがとうございました。