マジメに考察

若さとは何か。

僕は50過ぎのおっさんです。先日高校の時の部活仲間と飲み会がありました。知り合ってから30年以上も経ってるため、お互い気遣いナシの楽しい時間を過ごしてきました。

家に帰ってからホントにどうでもいいことに気づきました。それは飲み会のトピックの中に年々「年取った自慢?自虐?」みたいなものが増えてきた、ということです。

「犬の散歩中に肉離れを起こした」

「運転してたらぎっくり腰になった」

「ホントに酒が飲めなくなった」

「パソコン見てると目がかすむ」

などなどなどです。文字にすると切ないだけですが、不思議なことにこれは結構、おっさんおばさん飲み会では笑いのとれる、鉄板ネタでもあるのです。そんな話の後には、この薬が疲労に効く、このサプリはアレにいいよ、みたいなものへと続きます。

当たり前ですがこんな話は20代の時の飲み会では絶対出てこなかったトピックです。

そのうち「入れ歯が合わなくて」とか「尿漏れが深刻」「実はもうオムツになっちゃった」なんて話になるんでしょうか・・・イヤ過ぎる・・・あ、いかん、話が逸れてしまいました・・・

PR

そう、自分のブログなので図々しいのを承知で書きますが、僕はいまだに自身が大学生だったのが、数年前やそこらのような気がしています。社会人になってから30年以上も経過したことが何だか信じられないくらいなのです。これ冗談じゃなく、ホントにそうなんです。    20代の子たちにこれを話すと軽く失笑されます。ただ僕もそうだったので分かりますが、自分が若いと、年を取ることをリアルに想像できないのです。仮に想像できたとしても、おっさん・おばちゃんになるまでには永遠と呼ぶに等しい時間がある、と考えてしまうものです。他の人はともかく、少なくとも僕はそんなワカモノでした。                         でも同級生や会社の同期にこれを話すと、結構な割合で賛同を集めます。それは同世代が年月の過ぎ去るスピードの速さと、若さを感じられる期間の短さをきちんと理解しているからです。すでに経験、体感済みだからこそ理解できているだけかもしれません。

昔、学校でこんなことを習いました。

「少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んずべからず」

こんなにど真ん中に突き刺さる言葉になるとは、当時は思っていなかったはずです。   ともかく、この言葉が沁みるようになったら、きっともう若くはない証拠なんだと思います。

若さってなんなんだろ・・・年を取ると一度はそんなことをフイに考えてしまうものです。きっとアタマの良い方はこういう時に「うーん若さね、若さとはXXXXじゃないの?」と明確に言えると思います。でも僕はそうじゃないのでイチイチ、逡巡してしまいます。

芸能人やモデルになると元々のルックスやスタイルが良いので、僕と同世代でも「美魔女」とか「ダンディ」などと呼ばれる人だらけです。ただやっぱり見た目や雰囲気が若くても、話をすると年相応と言いますか、妙なアンバランスさを感じる人もいます。                                       若さを語る上でルックスはきっと大切なんでしょうけど、見た目以上のものが若さの秘訣にはありそうだ、と何となく感じます。

こんなどうでも良い、不毛なことをずっと、数十年前から考えてました。で、僕の結論はとてもシンプルなものにたどり着きました。それは、

若さとは、バOさである

という結論です。もしかしたら同じようなことを言っていた人がいるかもしれません。でも誰かの言葉をパクらず、自分で考えてヒネリ出した答えがコレになりました。       僕は自分なりの定義とか哲学、みたいなものを持ちたいタイプなので、それが自分なりに言語化できると大きな喜びを感じます。その結論や答えは他の人には当てはまらない場合もあると思います。ただ自分がどう感じるか、が全てなのでそこは自己中に、他人の評価みたいなのは無意味なのでガン無視したいと思います。あ、話が逸れました、すみません。

もう亡くなってしまいましたけど、スティーブジョブズがスタンフォード大学のスピーチの最後に {Stay hungry, stay foolish} という言葉で締めましたが、これを聴いた時に「おージョブズ、そうなんだよな、アンタも同意見か!」と思ったことを今でも覚えています。

若さを表せる言葉、代名詞的な単語や表現って本当に無数にありそうです。            勢い、無鉄砲、情熱、未熟、駆け出し、経験不足、無知、無尽蔵な体力、・・・などなど。でもこれらを全部ブチまけて最大公約数を出したら「バOさ」になる気がします。

振り返ってみると、昔の自分は本当にOカだったな、と思います。ここに書けないようなこともたくさんしてきましたし、今思うと恥ずかしい言動が平気でとれました。経験や社会の常識を積み重ねた今なら、絶対やらないことや思いつかないことだらけでした。でも常に緊張したり、ドキドキしたり、ワクワクするような思いがあったことは確かでした。あとは、見落としがちな大切なこととして、バOな言動には意外と笑いが付き物だった、という点です。笑いに昇華出来たから許されるし赦された、ってこともありました。

あれから何十年、残念ながら僕が年をとって失ってしまったものは、そんなものたちです。だからこそそんな年月が懐かしく、眩しく感じてしまうのかも知れません。

だからたまには、Oカになってみたいと思いますし、せめてあの時のエッセンス、みたいなものだけは持ち続けたいなぁ、なんて思います。同世代でも部下に慕われているのは総じて、良い意味でも悪い意味でもバOな人ですし、やっぱりOカになりきれるオトナはカッコ良いのです。

老婆心ながら、もし今これを読んでいる若い人がいたら僕はこう言いたいです。     若さは一種の才能ではあるけれど有限だから、日々生意気なことを言って、勘違いして、調子に乗って過ごしてくれ。君たちの上司は君たちが思ってるほど賢くないし、強大でもないから全然、恐れる必要なんかないぞ、と。                      まぁでも勿体ぶってそんなことを言われなくても、今の若い世代はこれら以上をきっちり実践しているのかもしれませんね。

老若男女、バOな人と仲良くなりたいです。本物のバカな人に馬鹿にされないように、今後もバカな自分を研鑽したいと思います。世の中がOカと愛であふれますように!

ありがとうございました。

PR