マジメに考察

引き際ってなんだろう?(日本語がムズかし過ぎて、厨二病が炸裂した、の巻)

先日、久々に三浦知良選手、通称キングカズのプレーをビデオで見る機会がありました。

正直、驚きました。

走れてないし、相手選手についていけてない。ボールキープも怪しいし、僕の記憶の中にあったカズらしさ、みたいなものをプレーの中で一度も見ることが出来なかったからです。

とても残念な気分になりました。それは想像以上に動けていなかったからです。

カズ選手は57歳のフットボーラーです。彼がフットボーラーとして、ケアを含めてどれだけ努力をしているかは有名な話でもあります。                       つい去年までは、2部とは言えポルトガルでプレーしていたように、フットボーラーとしての研鑽を続ける覚悟は1ファンとして、もうリスペクトでしかありません。           ただ現在、Jリーグ傘下のJFLでも見せ場や起点になれないカズ選手を見て、いよいよ潮時なのかもと思うようになりました。                            周りのサッカーファンでもある友人たちには、「今更、そんなこと思っているの?もうカズはここ何年もこんな感じだよ」と言われます。いや、そういう話を知らなかったわけじゃないけどここまでキレがないとは思わなかったから・・・というのが僕の気持ちでした。                  カズ選手のポジションは、点を取ったり、得点をアシストする役目を担っています。   ポルトガルでは出場試合5試合、総出場時間37分、0ゴール、0アシストでした。    カズ選手が最後に得点したのは、一応公式戦扱いとなっている鹿屋体育大学戦まで遡らないといけません。それすら2023年の1月です。

1年に1−2得点、もしくは同数アシストするフットボーラーをチームは翌年も契約したいと思うだろうか・・・そう思った時に、僕は社会人や人の引き際って何だろう、そこに美学はあるのだろうか?と改めて考えてみた次第なのです。

なんだかカズ選手をダシにして話を展開してしまい、ちょっと申し訳ない気もしますが、僕たちの生活に関わり合いがある世界でも、そんなことが起きていることに気が付かされます。

引き際を考える上でプロスポーツ以上に色々と頭に浮かんでくるのは、政治家センセーたちのことです。あの節操のなさ、もはやブラックジョークでしかありません。まぁ、辞めませんね・・・。一概には言えないけれど、自分の足で立てはなくなるまで、ずーっと居座りそうなセンセー方のなんと多きことか・・・引き際などまるで考えていなさそうです。                                 また大きな会社のご高齢なCEO、社長、取締役の方々も引き際を全く見せずに元気に居座っています。あと個人的には全く影響はないけれど、テレビで見かける大物芸能人の方々もなかなか下の世代に活躍の場を譲る気は無さそうで・・・。

でもこうしたいわゆる「上級国民」の方々、それもあまり国民や市民、会社や組織に貢献していない方々の引き際は、僕みたいな小市民のそれには参考にしてはいけないのかもしれません・・・いや、むしろ全く参考にならない・・・。反面教師でしかないような・・・。                 だって職にしがみついてる理由が、一つしか思い浮かばないからです。

それは「オイシイから」でもうそれ以上でも以下でもないでしょう。            僕みたいな小市民には、社会に属しているだけでそんなに「オイシイ」思いなんてそうそうないからです。定年後に天下り先が用意されてるわけでもないですし。もし自分が「オイシイ」立場にあったら、それを享受できなくなる前に自ら手放すでしょうか・・・。そこに耐え難いものや大きな理由があったのなら、手放せるかもしれませんが、簡単には手放したくない、という本音は決して消せないと思います。

なんだか書いていて切なくなってきました・・・。                                   そもそも終身雇用制度みたいなものはとっくに崩壊し、転職やアルバイトの職はどんどん増してきています。それも一種の引き際な気もしますが、それは次に繁ぐためのものなので「潮時」という言葉の方が妥当と思われます。                    例えば一時期、早期退職を促す企業がたくさんあって、多めの退職金と引き換えに会社を辞めていく人は多くいましたが、彼らのその後、そして新天地での最後の引き際はどうなったんでしょうか・・・。意外と知らない・・・。                       そもそも僕の年齢だと、仕事を辞めて完全引退した人などおりません・・・。

僕はとある上場企業で働いていたのですが、正規非正規を含めた従業員数は、軽く3万人を超えていたと記憶しています。転職をした人もたくさん見ましたが、結構職にしがみついてると思しき人もたくさん見てきました・・・。いやむしろ、そういう人の方が多そうに見えたのは気のせいでしょうか・・・。特に大企業に属すれば、転職を繰り返すような冒険はしない傾向にあります。そういう人の最後は引き際というよりも契約を全うさせた、ということの方が多そうです。引き際の美学など、無いも同然なのか・・・わからなくなってきた・・・。                                    うーむ、なんの結論もこのテーマに対して出せないのか・・・。引き際の美学どころか、引き際すら語れてないぞ、困った・・・。 

ん?でも引き際を語れる人っていうのは、もう辞めてください、と言われる前に自ら辞める選択をした人だけか・・・。いや、待てよ。例えばギャンブルでいい感じに勝ってる時に引き際を誤って全てを失うような人は引き際を語れないのか???ギャンブルなんて店からもう止めてください、なんて言われることないけど、全てを失った人でも「引き際ミスったー!!」ってことは言えるな・・・。引き際を語れる人って、どんな人なんだ・・・。

こういう時に、辞書に頼るのは悔しいのですが、「引き際」の意味を調べてみました。   ①(公の)仕事・地位から離れる、まぎわ。                       ⓶ひけぎわ[引け際・退け際]

だそうです。うーん、なんの助けにもならん・・・調べなきゃよかった・・・。

ただここまで書いてきて、『引き際』という言葉はかなりメジャーですが、それを語れる人は意外と少ないことに気がつきました。上記にあるような仕事・地位から離れるということは転職でも該当しますが、先述したようにそれは「潮時」であったからという言葉の方が正しいはずです。                                  僕のイメージにあった「引き際」とは引退と同義語だったのかもしれません。先ほどギャンブルの引き際についても書きましたが、あれは「引け際」が正解のようですね。もしギャンブルから足を洗う、となればそれは引き際かもしれませんが。

で、やっと書くことができます、引退を前提とした「引き際」について。

僕がこれについて考えたのは、確かにカズ選手がきっかけであることは間違いないのですが、自分の年齢から今後どういう人生を歩むのか、考え始めた時から始まっていたのかもしれません。僕はもうおっさんです。終活を本格的に始めるまでにはもう少し猶予がありそうですが、いろんなことを考えておかないといけないぞというところからのカズ選手、だったのです。先のことがまるで決まってもいないのに、仕事を辞めるという無計画な人生を歩んでいる者からしたら、当然の帰結と言いますか、考えないといけないテーマが「引き際」でした。                                      個人的にはしがみつけるものが何もないので、だったらせめて最後くらいは美しくありたいと思います。自分の望む美しい引き際というものが、実際どんなものなのか、具体的にはこうである、と単純明快なイメージを持てておりません。                ただ、人に迷惑をかけることなく、どんなにくだらなくても、少なくとも一つのことだけは純粋に、真摯に、嘘偽りなく全うできたら、そうなるのかな、とはぼんやり思っています。

今まで生きてきた中で僕が経験した唯一にして最大の引き際は、ずっと続けてきたスポーツを辞める決断をしたことだけだと今回気付きました。辞めた理由は、もうどんなに努力しても過去の自分を超えられない、と思ったからでした。それは単純明快な理由でした。                                      今後僕が決断しないといけない引き際は、いくつまで働くのかという選択だけかもしれません。美しい引き際でありたい、と書きましたが実際は、多くの人に迷惑をかけて、みっともない引き際となる可能性はゼロではないと思います。そうならないためにも、逆算して今後は行動していく必要はありそうです。

なんだか言葉遊びに終始したようなブログになってしまいましが、自分のカッコつけたがり マンなところが再認識できて、とてもすっきりしました。実際の僕はカッコつけマンではあるのですが、マヌケの神様が憑いているのでは?と思えるほどの人間です。まぁだからこそのカッコつけマン的な思考になったわけですが、時にはこんな厨二病を炸裂しつつも、シアーセな日々を全力で送れるように、足りない頭をアップデートさせ続けたいと思っています。そのためには、こんな感じでその時々に感じたテーマに関して、自分とのひとり問答が必要かな、と思っているのですが自分なりの結論を出す、問題を消化(昇華)するって意外と大変です。賢いひとは、スパッと答えが出るのでしょうけど、僕にはなかなか難しいところです。

それと書くって本当に難しいですね・・・。ブロガーにはあるまじき行為だと思っているのですが、僕は結論や書きたいこと、キャッチーな言葉(SEO対策)みたいなものをガン無視して手が考えて動かした文字をなんとなくまとめる、という手法?でここまできました。 こんな幼稚な手法ではありますが、余白を強引に埋めるということだけはできていました。ただもうちょい考えて書かないと、人様が読む前に自分が読みたい記事が書けなくなる気がするのでもう少しマジメに今後は向き合いたいと思う次第です。             今までこんなやり方で、作文で賞が取れたり、会社でのレポートが絶賛されたりしてきたので、人生ってわからないものだな、なんて思ったりします。ともかくこのブログを書き続けていたら、なんか少し自分の人生が豊かになりそうな予感はあるので、書き続けてみたいなぁと思います。もうちょい簡潔にまとめるようにします、ハイ。                                  

では良い1日を。ありがとうございました。