超私的日記

親不孝でサーセン。

僕は50過ぎのおっさんです。

幸運なことに両親はまだ健在で、どちらも80歳を超えとります。

両親の住む実家と今僕の住んでる場所は1kmくらいしか離れていないので、何かあればお互い駆けつけることが出来ます。

同世代の友人は、両親を亡くしている人もいるし、そもそも実家が遠かったりする人もいるのでその点僕はラッキーなのかも知れません。

一昨日、両親と電話で話すことがあったのですが、母親がまたコケてしまったようで・・・。

また、と書いたのは、うちの母親は年に2−3回コケていてその都度肋骨や鎖骨、手首を骨折したりしております。

こうなると冗談ではあるのですが、「骨折と病院通いが趣味なの?」といつも軽口を叩いてしまいます。

今回、骨折はなかったのですが、顎を痛打したらしく薬を飲んで寝込んでいるようです。

まぁ電話口では元気そうだったので少し安心しましたが、ちょっと様子を見に明日実家に行こうかなと思っています。

とここまで書いたところで、僕は日課のジョギングに出かけたのですが、コケてしまいました・・・。

うーむオカンのことを言えない・・・。擦りむいてしまった自分の肘と両手を見ながら、僕は笑うしかありません。

元スポーツ選手だったので、現役中に捻挫は100回くらいしたと思います。膝の靭帯も切りましたし、手術もしました。

ガキの頃はガキの頃で、喧嘩で拳を骨折したり、頭や体がボコボコになったり・・・。   大人になっても色々あって、足や腕の縫い傷も一体いくつ自分の体にはあるのだろう・・・。まぁ犯罪や自傷行為は全くないのですが、フツーに生きてきただけでなんでこんなことになってんだ・・・。

んで、思いました。

「オレはオカンとは比較にならんくらいに生傷が絶えないジンセーを送っとるやないか」と。

そして「今までオレはどれだけ親に心配をかけてきたんだろ・・・」と改めて考えてしまいました。

母親がコケる度に僕は心配になります。でもその何十倍、何百倍も僕は両親に迷惑や心配をかけています。

ガキの頃も、そして今もです。

恥ずかしながら僕は結婚したことすらないので、孫の顔を見せることはできませんでした。

幸運なことに僕は兄と妹がいて、彼らが両親に孫たちの顔を見せてくれたのは救いとなりました。

まぁでも僕は現在無職ですし、そういう意味では僕が一番心配をかけている存在です。

「なんかスマンな、父ちゃん、母ちゃん・・・」独り言がこぼれます。

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子どもの頃、怖くて大きく見えた父親の背中も小さくなって頭は真っ白になっています。

元気だけが取り柄、と言っていた母親も病気で寝込んだり、腰も随分曲がってきました。

ーちょっと真面目に親孝行しないと、それをする前に親がいなくなってしまうぞー

そんな声が聞こえたようでした。

父ちゃん、母ちゃん、あともうちょっとだけ長生きしてくれよ。

孫の顔は見せられなかったけど、それとは別のことで親孝行させてくれよ。

本当にゴメンね・・・

僕はずっと「自由」であること、ちょっとエラそうに書くとそれを人生のテーマみたいに考え、これまで生きてきました。

でも責任と義務のない、ただの「自由」は誰かに心配やら迷惑をかけてしまうようです。  それも一番、そういうことを感じて欲しくない相手に、です。  

ちょっと気合入れないといけないな・・・。

そんなことを思う夜になりました。

このブログはある意味、自分の日記帳にしたいので、これを残したいと思います。さーせん。

では、皆様の1日が素晴らしいものとなりますように。

ありがとうございました。

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