超私的日記

ちゃんとしたオトナになりたい。

今日もタイトルまんまのことについて書きたいと思います。

タイトルだけを決めて、何を書くのか全く考えていないのですが多少校正を加えながら書き進めてみたいと思います。

色々内容を決めてから書くよりも、そちらの方が自然で自分の思考がよりクリアになる気がするからです。話が前後したりしたらごめんなさい・・・。

僕は54歳のおっさんです。今年55歳になります。

思えば僕は子どもの頃から早くオトナになりたい、と考えるガキンチョでした。

だからと言ってガキンチョだった期間が退屈だったわけでもありません。

友達と遊ぶのがとても好きでしたし、学校へ行くのも毎日楽しみでした。

とここまで書くとある疑問が生じます。

早くオトナになりたい、ということは当時自分の憧れたオトナ、というような存在がいたはずです。

もしくは当時子どもには許されていない、オトナしか出来ない何かに憧れていた、などの理由があって然るべきだと思います。

うーん・・・思いつかんな・・・誰か特定のオトナに憧れていたかな・・・。

自分が生まれて最初にオトナと認識する存在は両親、ということになります。

でも父親からは事あるごとに殴られていて、こんなオトナにはならないでおこう、と早くから思っていました。母親は優しい存在という記憶が残っているものの、病気がちであったため、僕の幼少時代に良くも悪くもそんなにパンチの効いた存在ではありませんでした。次に身近だったオトナは、学校の先生です。僕は悪ガキ、クソガキだったので、先生に助けられたのは事実です。良い先生方に恵まれた子供時代だったのは間違いありません。     でも悲しいかな先生に対して、そこまで深い憧憬が持てるほどのフンベツは当時も今も持ち合わせていませんでした。

オトナにしか出来ない何か、を想像しても飲酒や喫煙、せいぜい車の運転くらいしか思い浮かびません。それらについては確かに興味はありましたが、早くオトナになりたいとする強い要因には成り得ない気もします。

うーん・・・タイピングできなくなりました・・・。ちょっとコーヒーでも飲んできます・・・。

で数分後の今、鮮やかに以下の記憶が脳裏に浮かんできました。

当時僕はウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローものが大好きでした。

仮面ライダーのベルトが心の底から欲しかったですし、風呂敷を首に巻きつけて自分がヒーローに成りきるごっこ遊びに興じていた記憶がはっきりと思い出されます。ウルトラマンのように目や腕から光線のようなものが出ないことが心の底から悔しい、という記憶もあります。

まさに今、思いついたことですが僕が早くオトナになりたかった理由、憧れたオトナという存在は、こういうヒーローものであった、という結論で間違いないかもしれません。ヒーローはいつも周りから好かれていて、明るくてカッコイイ、オトナたちでした。

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それに気づいたからなんなんだ、と思われる方もいらっしゃるでしょう。

でも僕のブログのコンセプトは、「日々不毛なものを考える」ことなので、今とてもスッキリした気分でいます。誰に対してか分かりませんが、ちょっとありがとうございます、と言いたい気分です。

脱線しましたが、もう少し書き進めていきます。

僕の憧れていたオトナはヒーローものだった、それで早くオトナになりたかった、というものが腑に落ちた最大の理由があります。

自分で書くにはあまりにもおこがましいですが、恥ずかしながら書いてしまいます。

それは自分の「正義感」です。

僕はたまに自分でも驚くくらいに「正義感」が高まる時があります。

エラそうな人間に対して、つい攻撃的になってしまうのです。

なんだか自分で自分のことを「オレって良いヤツだ」と書いてるようで恥ずかしいのですが、そういう時が本当にあるのです。

でも正直に書くと、それが毎度毎度のことではなく、相手にビビってしまいその正義感を封印し、忖度してしまった過去もあります・・・。クッソダサいですが、事実です。だから僕はそんなに良いヤツではないことは、残念ながら自認しております、ハイ。

ともかく、年齢を重ねるにつれてその「正義感」は強まってきたのも確かです。

でも僕の正義感はある意味、無責任さが内包されているというのも自覚しています。

それは僕が独身で、守るべき存在がいないからというものです。例えば、理不尽な上司に鉄槌を食らわせた後、降格の憂き目にあったとしても生活上そんなに困らない、という背景があります。地位のようなものに固執する理由がないのです。それゆえに集団の中で、ご意見番的立場に祭り上げられることが多々ありました。

ただそこまでの人望や敬意を周囲から僕は集めていたとは思えないので、役割として正義感と付き合い続けてきた、とも言えそうです。

で、話はやっと本題に入りますが、昨今のあまり明るく無いニュースには、カッコ悪いオトナ達がたくさん絡んでいます。

政治とカネの問題、官僚の暴走、政治家の不祥事、テレビ局やマスメディアのスキャンダル、某企業間の経営統合破断・・・。

これらの問題に共通しているのは、端から見ていてとにかく「みっともない」と感じてしまうところです。たくさんのものに「しがみついて」おり、それを手放す潔さのカケラも無い、強欲なオトナ達という印象を持たざるを得ません。

これらはあくまで主観的な表現(感想)となりましたが、本質的なところではこういうオトナ達は著しく「正義感」が欠如しているように思います。

正義とは辞書を引くと、【正しい道理。人間行為の正しさ。】とあります。

昨今の問題を「正義」というフィルターを通してみると、渦中の問題にある人たちの行動は、謝罪・辞任・退任・廃止というものに繋がるように思います。

これらをするだけで問題は即時解決、とは行きませんが良い方向へ舵を切ることは容易に想像できます。ですが、彼らはそういうアクションを取りません。

きっと一般の人と渦中の人たちが考える「正義」は、真逆なのだと思います。

槍玉に挙げられている政治家先生にとって、増税したり、他国を優遇して国民の生活がより困難になることが正義であり、マスメディアの方々は、世の中の人が広く知りたい情報よりも自社の利益に直結する報道こそが正義、となるのでしょう。

さてここで僕が大好きだったヒーローものの「正義」とはどんなものだったのでしょうか。

それは「弱きを助け、強きを挫く」だったと思います。

反対にアンチヒーローの場合はどうでしょう?                    個人的には大好きだったタケチャンマン(若い人は知らないと思いますが・・・)なのですが、主題歌の歌詞には、「強きを助け、弱きを憎む」とあります。

両者の定義としては、これほど分かりやすいものは無い気がします。

さて僕はウルトラマン・仮面ライダーとタケチャンマン、どっちになりたいんだろう?

やっぱり前者になりたいな、と思います。

タイトルの通り、僕はちゃんとしたオトナになりたい、と常々思ってきました。

今でも覚えていますが、30、40、50歳の節目の誕生日にガキンチョだった自分の想像のオトナ像と、実際の自分があまりにも乖離している事実に愕然としてきました。

ある意味、ガキンチョだった自分の方が50歳の自分よりもオトナであった可能性すら感じたからです。

ちゃんとしたオトナ、という具体性の無い言葉を目標に掲げているのは、おそらくそれが現状、多角的な意味を持っていて、一言では言い表せない存在だから、なのかも知れません。

これまた辞書に頼るとすると、大人とは【一人前に成人した人】とあります。成人=大人、であるのは間違い無い気はしますが、僕は生物学上の大人ではなく、一人の人間・存在としてオトナの定義を作り上げるといいますか、それを知りたいのです。

自分の言動に責任を取れる存在、社会に貢献できる存在、人に迷惑をかけずに生きていける存在・・・存在を成人に変えても一応「オトナ」と呼ぶにふさわしい気もしますが、僕の心臓が止まるまでには、辞書のように一言で「オトナ」とはoxoxである、と言えるようにありたいです。もうそんなに長い時間は残されてないのかも知れないので、なる早で定義付けしたいのですが・・・。

「オトナ」という定義を一言で示せない以上、話のオチが見出せず苦しいところですが、ただ昨今のカッコ悪いオトナ達がたくさん出現してくれているおかげで、こうなったらアンタ、オシマイよ、というサンプルは十分与えていただいたと思っています。

いずれにしても僕の『ちゃんとしたオトナになる』、その道はもう少々、続きそうです。

最後に蛇足ながら、今渦中の叩かれている人たちにもう一つ共通しているのは、『調子に乗り過ぎた人達』だと思われます。特に某テレビ局が問題とされている体質とは、一言で言うと僕の学生時代にあった『ウェーイ』という良くわからない飲み会のノリそのものだな、と感じます。良いオトナが、ジ⚪︎イと呼ばれる歳になってもそんなノリを続けてこれたことに驚きを感じ得ません。

これらを良い教訓としたいと思います。僕くらいの年齢になると、ウェーイな人は少なくなりますが、エラそうな人は多いですし、結果を残してきた自負と自信からなのか高圧的な人も多く見られます。

歳を取ればとるほど謙虚でいないと若い世代には嫌われ、叩かれるのだということを肝に銘じないといけませんね。特に僕は目つきも悪く、見た目が悪人ヅラでエラそうなので、実際にそう捉えられないよう、他の人以上に気をつけないといけません。

心の中で常に僕は仮面ライダーベルトを巻いている姿を想像しようと思いました。    本当の見た目はタケチャンマンの方にずっと寄っているのですが。

ダラダラ書いてきましたが、上記のことに気付けた記念として以下の写真を貼らせていただきます。僕とヒーローたち、です。これはずっととっておこうと思います。撮ってくれた方、今となってはありがとうございます、です。

さて次に正義に反することを目にした時、僕は僕のヒーローたちのように勇気を持って戦えるのか、それとも尻尾を巻いて逃げ出すのか・・・・。

僕がちゃんとしたオトナになれたのかどうか、その時にハッキリと自覚は出来そうではありますね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ではでは良い1日を。

応援・ファンレターをお待ちしております!ありがとうございます

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