マジメに考察

「ありがとうございます」から思ったこと。

ぼくは無職のおっさんです。前職は小売業に属するのですが、サービス業の知識と対応も求められておりました。一年の3分の2は出張生活でしたので、北海道から沖縄まで、いろいろ回らせてもらいました。日本は狭い国ですが、その土地土地に県民性のようなものが独自に存在しており、そういう場面に触れることが出来たのも出張の醍醐味でした。

一つ例に挙げると、特に大阪の飲食店での客と店主の挨拶は素晴らしいなと思っています。客が食事を終えて会計する時、「おおきに」や「美味かった、ごちそうさん」などの言葉が客の方から出るのです。店主も「毎度おおきに〜」と元気良く返します。                                     もちろん100%の客がそうしているわけではありませんが、かなり高い割合でそういうシーンに遭遇しました。                                   ぼくが育ってきた神奈川や東京でも、もちろんそうしたシーンを見ることもあります。ただ大阪ほどの頻度で見ることはないと思います。

話は少し逸れますが、日本のインバウンドは好調を維持しています。多くの外国人の意見として、日本のホスピタリティは最高だった、というのを見聞きします。個人の経験でも日本のサービスは外国と比較しても類を見ないほど、レベルが高いと思います。       ただあくまで個人的な意見ですが、ぼくが印象的な接客を受けた思い出を振り返ると、海外で受けたそれが少なくないのです。

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名代おめん

海外に住んでいた時に、定期的にホームパーティをしておりました。そこでは各自が食事や酒を持ち込む、がルールだったので、ぼくはすき焼きを作ることにしました。すき焼きを作る上で一つ問題があります。それは薄くスライスした肉を準備できるか、というものです。海外在住経験のある方ならご存知かもしれませんが、ヨーロッパや欧米で牛肉を買おうとしたら、大抵ステーキ肉かローストビーフを作る時に使うような、肉の塊がほとんどです。                            とりあえず、スーパーで肉を買い、もう少し薄く切ってくれないか、交渉してみました。結局、「No」という答えが返ってきました。これも海外あるあるですが、あちらの包丁の切れは本当によくないので、肉を薄く切ろうと思ったら、凍らせて削ぐようにカットするしか手がありません。そんな時間はないので、途方に暮れておりました。その時、ブッチャーならなんとかなるかも、と思い中心街を車で流し、それらしき店を見つけました。       よそで買った肉なんだけど、薄くスライスしてもらえないか、もちろんお金は払うから、と店主に伝えました。店主は不機嫌そうな男でしたが、この際、選択の余地はありません。        おもむろに肉を取り出し、見せると、店主は何か言いたげでしたが、一言「どれくらい薄くカットしてほしいんだ?」と尋ねます。できるだけ薄く・・・ベーコンくらいになったら嬉しいな、そんな風に返しました。ベーコンはちょっと難しいが、やってみよう、と答え肉を持って店主は裏へ消えて行きます。                         数分後、肉を入れたビニール袋を持って店主が現れました。中身を見ると、ポークチョップより気持ち薄い程度の厚さの肉がそこに入っています。思うところは正直ありましたが、店主はベストを尽くしてくれたのです。お金を払おうと「ありがとう、いくら払えば良い?」と尋ねると、店主は「いらない」と一蹴してきます。そんなわけにはいかない、と応戦しますが、店主はついに言いました。 

「うちは鶏肉屋なんだよ。鶏肉屋に牛肉を持ってくるクレイジーな客は初めてだったし、それを薄く切れと言われたのも初めてだ。もっと薄く切りたかったが、生肉では無理だった。こんなことはもう2度とないからフリーでいいよ」

皮肉も込められていましたが、店主の笑みを見たとき、なんだか優しい気持ちになりました。改めて店内を見ると、すぐに気がつけるほど、鶏肉しか置いてありません。     ただ、もっと薄く切って欲しかった、という本心までもが見透かされていて、ちょっと恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちも襲ってきました。

礼を伝えて店を去り、もう一度店に戻ります。酒屋で買ったビールを店主に渡したところ、大きな声で笑われて、向こうから手を出してきました。今度は、拒まれませんでした。   ガッチリと握手をしてぼくは良い気分で店を出ることができました。その時の店主の強いグリップは、今でもはっきりと覚えています。

前職の話に戻ります。職場にはトレーナーと呼ばれる人がいました。店舗のオペレーションを新入社員やパートさんに教育する係りの人ですが、身だしなみから笑顔、客への挨拶なんかも指導に含まれます。店舗でトレーナーの働きぶりを見たことがありますが、笑顔やありがとうございました、の掛け声はさすが、と思わせるものです。            ある時、バスの中でトレーナーを見かけました。トレーナーは次の停留所で降りるようです。バスの降り際、トレーナーの姿が目に入ります。なんだかお通夜のような表情で、バスを無言で降りていきました・・・。                                   別の日にはレストランで、トレーナーたちに会いました。楽しそうに談笑しています。彼らが食事を終え、会計しているのを何気なく見ていたのですが、誰一人「ありがとう」とお店の方に声をかけることなく、去って行きました。

ぼくはそれがなんだかショックでした。「ありがとう」の大切さを普段あれだけ新人達に説いてる人が、仕事以外ではありがとう、って言わないんだ・・・と。

それからコンビニに行っても、レストランで食事をしても、買い物をしても、ありがとうと言われるたびにその店員さんを見る癖がつきました。ありがとう、と言われて、不快になる人はいません。ただ、そこに心はあるのだろうか?と考えてみたのです。よーく観察していると、それがマニュアルであるからそうしている方と、本気でそう思っている方との違いがなんとなく見えてくるようになりました。もちろん、それはぼくの主観なので、本当のところはわかりません。ただ、同じ「ありがとう」でも人によって差が感じられるのです。

結局、その違いって「お礼」と「感謝を示す」の違いなんだと気がつきました。そのどちらも「ありがとう」という言葉を用います。でも相手の受け取る感覚は違います。

お礼は大切な行為ではありますが、少しだけ「義務」の匂いがします。「感謝を示す」にはその点、純粋さがありそうです。 どちらも人の気持ちを良くする行為なので優劣みたいなものは無そうですが、これらの言葉の違いは、理解しておいた方が良さそうです。

そんなことから、せめて自分のプライベートくらいは、心を込めた「ありがとう」を言えるようになりたいな、と思うようになりました。                    今の時代は、連絡は電話ではなく、メールがほとんどです。だからありがとうも肉声ではなく、文面で伝えなければいけないこともあります。いつまでもマニュアル通りの「お礼」ですと、書面でしか謝意を伝えられない時に、無味無臭な感じが文章を通じて相手に伝わってしまうのではないか、と危惧したのです。

だから特に謝意を感じた時の、「ありがとう」を文面に表す時は、前段を横着せずに書き、ありがとうという言葉以外にもその後のストーリーみたいなものを短文でも添えるようにしました相手がそれをどう受け止めるかは、また別の話ですが、少なくとも拙くはあっても心を込めるようになれたのは良かったと思います。

日本のホスピタリティが世界的に高いのは、周知の事実です。                でもそれは、真心よりも従業員や社員対象のサービス教育の水準が高いから得た名声、な気がします。社員教育を施さない企業は日本には1社もないことでしょう。それがかなり効果的なのだと思います。                               しかし海外でぼくが経験したような素晴らしいホスピタリーやサービスを得た、という人も多いと思います。                                 あちらでは小学校の授業で笑顔の練習をしたりする、と聞いたことがあります。     笑顔を自然に作れるか、という観点ではおそらく日本人は勝てません。あちらの人たちがあれだけ歯の白さにこだわるのは、笑顔がどれだけ大切なのか、日本人以上に熟知している「文化」があるからだと、考えています。 その笑顔は、相手への気遣いが原点な気がします。なぜなら自分の笑顔は自分で見ることができないからです。

だから昨今の日本だけが特別である、みたいな考え方は危険だし、あんまり調子に乗ってはいけないと思います。

ホスピタリティをたった一言に集約すると「思いやり」という言葉になると思いますが、日本人だけが他人を思いやれるわけがないのです。                                   もしほとんどの日本人が、お互いを深く思いやれるのならば、日本人の離婚率がこんなに高いはずがないからです。ちなみにそれは35%なのだそうです。ちょっと飛躍したトピックかもしれません。ですが、夫婦ほど思いやりが求められる関係もこの世に存在しない気がするので当たらずとも遠からず、な視点ではないでしょうか。              離婚間際のカップルほど、コミュニケーションが取れない、取らない関係はないと思います。そうなってしまった原因はともかく、その状態の2人は相手に対して「ありがとう」が言えない状態になっているのは想像に難くありません。  

ありがとう、という言葉の強さを今回書いていて改めて感じることができました。      ヤなヤツ、嫌われてる人は、ぼくの経験上ではありますが、「ありがとう」を極端に言い渋ってる傾向がある気がします。減るもんじゃあるまいし、それを言えば言うほど、自分の気持ちもよくなるので、個人的にはありがとうの習慣は続けたいと思っています。もう一生、 ひとり『ありがとう週間』ですね。

明日も皆様の1日が良いものとなりますように。

ありがとうございました。

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