少しずつ秋らしくなってきましたが、皆様いかがお過ごしですか?
海の近くに住んでいると、日没時刻が少しずつ早まっていることを感じます。
週末はまだ浜にも人は来るのですが、平日は段々と人も少なくなってきました。
人が少ないせいもあり、この時期は浜でついつい、物思いにふけってしまいがちです。
今日は浜でポツネンとした時に思ったことを書いてみたいと思います。
ちょっとタイムリーネタではなくなりましたが、今年度のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会(以下、被団協)が授与決定されることになりました。このニュースが流れた時に、僕は浜でボーッとしていたのですが、その後家に戻ってから、広島県被団協の方のコメントや政治家のそれらを集めてみました。
特に被団協の方々の驚きと感動に満ちたコメントは、この国に生まれ日本人として育った者にとっては考えさせられるものでした。
個人的には、身内に被爆者はおりませんが、祖父や祖母から戦時中の話を少し聞くこともありましたし、こういう団体に脚光が浴びるニュースはとても素晴らしいことのように思います。
ただ少し残念に思ってしまうのは、もう少しこのニュースが大々的に取り上げられ、団体の活動や歴史に焦点を当てる報道を見たかった、というものです。
その場合、テーマが「戦争」や「原爆」ということになるので、なかなか扱いづらいものであることは承知しているのですが、こんな時こそ様々な人の意見やこの国がどのように平和を築いていくのか、そんな話を聞いてみたかったな、と思いました。
話は少し逸れてしまいますが、昨今では戦争に限らずグローバルな問題が多々起きています。
地球環境もそうですし、人権、経済、感染症などの問題は枚挙にいとまがない程です。
個人的にはもっとオープンに色々と話し合えたら良いのになぁと思ってしまいます。
こういうトピックを扱うときには、注意が必要で、軽はずみな言動は慎まなければいけません。
ただ、「臭いものには蓋をする」という言葉があるように、大切なことをタブー化して触れないようにするのもかなり危険な感じがします。
そういう空気感みたいなものを僕は年々この国でも感じています。
事実や客観的データに基づく議論や対話みたいなものが、避けられる傾向にある「空気感」のようなものを感じるのです。
それは何もグローバルな事象的問題だけでなく、極端に言うと自分の勤めている会社や家族間でも、感じてきました。言い難いことはあるけれど、それを避けていてはいつまでも問題解決は果たされないのに・・・。
お互いを思いあっての行動なのか、それともややこしくて面倒だからなのか・・・。
何れにしてもあまり良いことではないような・・・。
こんなことを思っているのは僕だけなのでしょうか・・・。
そんなことを今回のノーベル平和賞の時にぼんやり思った次第です。
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あとは、個人的に訪れたことのある広島平和記念資料館と長崎原爆資料館のことがなぜか思い出されました。
どちらも一度ずつしか訪れたことがないのですが、強烈な印象を覚えています。
両方の資料館ではなるべく淡々と資料や写真を見るように心がけていましたが、感情が揺さぶられてしまいました。
ただ個人的には長崎の資料館の方が深く思い出されます。
それは、僕が訪れた時に多くのアメリカ人観光客(発音でアメリカ人はすぐに分かります)と遭遇したからです。
アメリカ人がどんなリアクションをとるのか、少しばかり野次馬的な好奇心があったのですが、食い入るように資料や映像を見ていた姿が印象的でした。大きな体躯の彼らのうち、何人かの目が真っ赤だったのを覚えています。
出口に近づき、僕は思うところがあったので売店で写真集と資料を購入することにしました。
レジ係の方から「本日はご来館、ありがとうございました」と丁寧なご挨拶を受け、そしてたわいもない雑談を交わします。 その後「これらをご購入いただきましてありがとうございます」と深々と頭を下げられました。
思わず僕も頭を下げ、立ち去ろうとしたら、「あの、これからも何か良いことがありますように。こちらを入れてもよろしいですか?」
見るとレジ係の方の両手に小さな折り鶴が幾つかのっています。僕は小さく頷き、一言「ありがとうございました」と礼を述べ、出口に向かったのですが、そこで完全に感情が崩壊したのを覚えています。
泣いたわけではないので正確には崩壊「寸前」だったのですが、レジ係の方の一言一言がなぜか突き刺さっているのに気付きます。
レジの方はただのアルバイトかも知れません。でもそうであったとしてもそれはボランティア色がかなり強いもので、少なくとも小銭稼ぎが目的ではなかったはずです。 それが断言出来るのは、あんなに響いた「ありがとうございます」を僕は聞いたことが無かったからです。 僕のような[輩風]の人間に対して、目を見て、あんなに優しいありがとうをホントにさりげなく言えるのは、私利私欲みたいなものが無いからでしょう。 あのレジの係の、初老の女性との会話だけで僕はその日1日がとても素晴らしいものになった気がしました。
きっと広島や長崎の被団協の方もこのレジ係の方のような活動を続けてこれられたのでしょう。
だから僕は今回のノーベル平和賞授与に対して、関係者の方々へ深い敬意を感じることになりました。
蛇足ながら写真は、先述した鶴と購入したものになります。三枚目の写真は、僕の甥なのですが、長崎で僕が見たものを彼に伝えた時のそれです。普段、漫画しか見ないガキンチョが資料を見て僕の話を聞いてくれて、きちんと戦争や原爆の話が出来たことを今でも嬉しく思っています。7年前の写真になるのですが、僕にとっては大切な写真になっています。
と柄にもなくマジメな話に終始してしまいましたが、あのレジ係の女性のように、僕も皆様の1日が素晴らしいものになるように、今日だけは⁉︎きっちり祈りたいと思います。なんだかそんな気分です。
というわけで全くこのトピックと関係ないのですが、平和っぽい写真を一枚。
逗子からダイヤモンド富士の写真を。自前写真です。
ではでは、良い1日を。ありがとうございました。